うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「春にして君を離れ」のすごさ

インスタ映えのために高い所へ登って落ちる若者がいるという。「春にして君を離れ」の小説の主人公のマインドはそこへ至るプロセスとどこか似ている。その人にはその人の欲がある。
母として、子宮の痛みに耐え肉体を家族のためにささげた存在としてプレゼンテーションしていく主人公。
わたしの人生劇場のキャストであるあなたは、わたしにとって大切な家族。そんなあなたのためを思ってわたしは「映える」ための現実的助言をしてきました。それってなにか問題あるんでしたっけ? と言われたら返す言葉がない。
それってなにか問題あるんでしたっけ? という態度のしくみはおそろしい。


この小説から引き出される思考を反省材料として片づけるのはたいへん道徳的でよろしいのだけど、それでいいのかという問いが止まらない。
逆境においても希望を失わない力、理想を掲げる力、ウィルパワーは大切だ。
ところがこの本を読んだら、逆境において「も」としていいものか悩むことになった。それぜんぜん逆境じゃないよねという場合はどうかというツッコミが実はとても大切なのだ。その検討を抜きにしてものを語る人の姿がここにある。


身近な人の理想が自分の理想と同じでないことがわかったときに、どうするか。
この小説はウィルパワーの使い方を間違え続けた主婦がふとしたきっかけで記憶のロールバックをはじめ、どうするかという人間のありようの一例を描くのだけど、それまでに周囲の人から仄めかされてきたこと以上の現実はそのままにされる。


行為をするには希望が必要で、希望を持つには知性が必要なのだけど、知性がなくても希望は持てる。そう、知性はなくても希望は持てちゃう。引用しちゃえばいいもんね。それは実は欲望なのだけど、希望ということにできてしまう。
この小説は、共同幻想の力の陰と陽を描いている。
すごいわ。