書店で立ち読みをはじめたら止まらなくなった本。わたしは「共感」「親近感」という言葉の意味は「発し手×そのとき」で毎回違うと思っていて、「共感します」「親近感がわきます」の半分くらいは「便乗します」のような、そんなふうに感じることがあります。
わたしはここ数年、援護射撃はしないけれど心細い思いはさせませんというスタンスで他人と関わるにはどうしたらよいのだろうと思うことが何度もあって、この本にあるような語りを求めていたのでした。気がつくと代理戦争に巻き込まれそうになっていたり、代わりに断罪してくれと頼まれたかのような展開になったときに、その場に応じない対応をできるようになっても、あとで思考の整理をしておかないとその人を嫌いになってしまうから。
だから集中力を欠いた瞬間のコミュニケーションに差し込まれる「邪」や「魔」への対応力をあげていきたい。この判断に自信がなくなると鎖国的にならざるをえないから。わたしは鎖国的にならずにやっていきたい。
この本は「そう簡単に共感してくれるな!」という感情についても掘り下げていて、攻めの共感ほど胡散臭いものはないと訝しがる気持ちをなかったことにせず、めんどくさい共感者を斬っていく辛辣さがあります。いいことをしたい人や感謝されたい人には、読んでいて腹の立つ内容かもしれません。でもわたしはこっちが本当だと思います。
「共感します」と言われなくても、かつて同じようなことを考えた瞬間があって合点したときは、行為や行動の積み重ねでわかるもの。親しくなれる間柄であるほど名刺交換みたいなことはしないよねという考えをずっと持っていたわたしにとって、この本にある内容はうなずくことばかりでした。
とくにここ。
ときおり「根拠のない自信」という表現を聞きますが、これは「黒いカラス」とか「三人のトリオ」といった表現と似て、当たり前すぎる不必要な修飾を伴う不思議な表現です。なぜなら、そもそも、本物の自信には根拠などないからです。「根拠のある自信」のほうが、不自然で力みのある自信であり、人間が人工的に作り上げたものなのです。
(33 自然への共感は生きる力を生む より)
雑誌やラジオの人生相談を見聞きしていると、根拠がないと自信を持ってはいけないと思っている人から「根拠になる言葉をかけてくれ」と受け手がせがまれるような展開がけっこうあって、わたしはそのたびに「他人を神や聖人に見立ててその口から個人の自信の根拠を得ようとは…」という印象を持ちながら見てきました。
なので、日常の言葉でカウンセラーが対応するって、かなり技術のいるとことじゃないかと想像します。「おまえ誰?」と、他人を値踏みする感情を持った人への対応をする時はとくに。ハイジがクララに対して行なったようなことを社会の中で人間同士がやるって、めちゃくちゃ大変じゃないか。
この本を読んで思ったのは、カウンセラーというのは梵我一如やブラフマン・アートマンを疑似体験するための媒介役なのかもしれないということ。
お寺で大日如来や不動明王を見てなんとなく鼓舞された感じになって根拠なき自信を取り戻す、わたしにはそういうことがよくあるのだけど、それを人間が職業にして行なうって、そうとうなことよ…。わたしはそんなふうに読みました。
「バガヴァッド・ギーターを読みましょう!」といってクリシュナに丸投げするわけにもいかん仕事。こりゃ大変だ…と勝手に専門家の苦労に共感(この「共感」は、あってるのか…)し、外から見ていて感じる「カウンセリングのようなもの」の不快感を分解する、そんな読書時間でした。
- 作者: 杉原保史
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2015/01/21
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