うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

あなたはおかしい。わたしもおかしい。の世界

なぜ読んでしまうのだろう。谷崎潤一郎の小説にはまっています。
どの小説もある種の「前提」をとっぱらって進んでいくので、今の時代では発売できなかっただろうなと思うものもあるのだけど、ふしぎと精神が癒やされるのです。



 あなたは大丈夫な人 ⇔ わたしはダメな人
              


という思考をする人に出会ったときに、息苦しくなる。
谷崎潤一郎の小説が治癒として効いているのは、わたしの日常の苦しみの、まさにそのあたり。
谷崎潤一郎の小説の中で描かれる物語はたいてい



 あなたはおかしい。わたしもおかしい。



の方向へ歩き出す。あなたは大丈夫な人、わたしはダメな人。という展開にはならない。
平等観、フェアネス、なんならワンネス? わたしはそこに、ふしぎな癒やしの光を見ます。



 あなたはまとも ⇔ わたしはおかしい



ではなく「"まとも" と "おかしい" って、こんなに瞬時に行ったり来たりできるんだ!」という意識のワープ。わたしは、意識のワープを楽しめる人がすきです。そのような人たちといっしょに勧善懲悪のドラマを超えていこうとする時間は楽しい。とても頼もしい大人同士の関係。


たとえば「卍(まんじ)」。この小説はひたすら関西弁で進みます。東京の人が書くエセ関西弁です。エセの、コテコテの関西弁。
でもこのリズムこそまさに「あなたはおかしい。わたしもおかしい」のリズム。関西弁だとこんなにおもしろい感じが出るものかと驚きました。この関西弁がホンモノか偽物か、正しいか間違っているかを問われたら、いまの断罪大好き社会のムードでいえば、そりゃ間違っているのでしょう。ネイティブじゃないですし。でも、それを理由に「はい却下」とするのかといったら「これ標準語で書ける?」と訊ねてみたい。


心の世界の広さを伝えるというのは容易なことではないけれど、谷崎潤一郎のような超えかた(超えようとすることのしかた)には、異様なスタミナを感じます。話はだいたい、きもちわるいんですけど。