先日、脳内で少女マンガが発動しかかる中年女性の苦悩について書きましたが、この小説はまさにそんなお話で驚きました。
モーパッサンの女心の描きかたは、いつもなんだかおもしろい。この人にバカにされるぶんには、まったく腹が立たないのです。なんでだろう。こういう感じはなかなかありません。男を立てることと女を見下すことがイコールになっていない、絶妙なバランス。
モリエールの戯曲を読むと、主人を立てることと召使いがへりくだることがイコールになっていない絶妙なバランスを感じるのですが、それと似たような。
夏目漱石がモーパッサンを嫌っていたという説があるそうですが、両方をどっぷり読んでみると、それは嫉妬しようにもどうにも届かない感覚に対して「ムカつく!」と吼えているようにも見えます。モーパッサンのようなやり方で、夏目漱石も書いてみたかったのではないか。なにかを。そんなふうにも思うのです。
この「寡婦」の最後もすごいのですが、義憤を発動させるか否かのギリギリのところを狙ってくるような、そういうやりかた。
フッ。なかなかいいパンチ、もってるじゃねぇか
と、血まみれでも言いたくなる。
ボクサーにも血まみれにもなったことがないけれど、そんな感じ。
まずは信用するフリからはじめよう…なんて手合いでなく、ちゃんとパンチを繰り出してくる感じがいい。
共依存という心のメカニズムを知らずにDVが常習化する男性ではなく、そのメカニズムを知り尽くした上で、ためしに殴ってくる人。もちろん、倫理的にも道徳的にもそれはNG。だからこそそれをフィクションでやってみる、というような。
女性という性別・立場で生きている人だって、物質的に心身を鍛えればそれなりに強くなるでしょうということから目を背けない、そういうものを感じる。モーパッサンは、「図太さのありさま」を、いろんな角度で見せてくる。図太さって、もともとあったものが顕現してくるだけなんだよな…。