うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

この世にたやすい仕事はない 津村記久子 著


「お、おもしろい…」ひとことでいうと、こんな感想になる。
「おもしろい」ではなく「お、おもしろい…」です。最初の「お」と「…」が、読みすすめるときの安心感の元。バランスの取れた職業観って、どんな塩梅のことをいうのだろう? そういうことについて、うまーく、おもしろーく書かれています。
途中まで「変わったお仕事」の話の短編集なのかと思いきや、串刺しになっているテーマは、まるで恋のように落ちてしまう「仕事」とのある種の関係のこと。
「○○君のこと、好きなんでしょ?」「好きじゃないもんッ」「でもなんかいつも一緒に帰る機会がないか、さぐってる感じだよね」「そんなことないもんッ」みたいな、そういう微妙さ。
自分が無駄な熱心さを発動させていることに気づきつつ合理化するところなどは、うわぁーいやなところをついてくるなぁと思う。しかもその合理化をするときに、「まあまあ楽しい」と、まるで一歩引いたかのようなスタンスの言葉を選ぶところなんかがとてもリアル。


そして終盤になると様相が変わってくるのもいい。
"情熱的に熱心に誇りを持って仕事に取り組んでいる人間を見て無条件で敬意を持ってしまう" という感情は、いったいどこまで原始的な感情なのか。なにも疑わずに仕事と一体化できているかのように見える人に対するあこがれのような気持ちは、どこまで自然なものなのか。そういう、仕事に対してたまに思うけどいちいち拾わずに流している感情が、重すぎないタイミングでいつのまにか差し込まれている。


仕事をしていて自分はマゾなのじゃないかとか、なにか奴隷DNAのようなものが埋め込まれているのではないかと感じたことはありませんか?
わたしは以前、あったんですよね…。そして今もなにかの拍子にその種が発芽しやしないかと、ゾワッとすることがあります。これは仕事や職場を変えるというよりも「仕事と自分の関係」についてじっくり考えてみないと見直せないもの。
この小説の第4話に、こんな脳内セリフがあります。

べつに来いって言われてないのに、ついていくぜとか言っている。これは仕事との不適切な関係である。

「来いって言われてないのに」ですよ。ここなのよーーー! と、ぎゃぁぁぁぁー! っとなりました。


わたしはなにかに夢中になるときの着火点は義憤と私憤の中間にあるのではないかと考えたことがあって、これについてうまく説明はできないのだけど、この小説にはその「中間」に至る瞬間がすごくおもしろく書かれていました。
「好き」とか「夢中になること」について、急にアクセルを踏むしかない感じになったり、逆にちょっとした指摘で急ブレーキを踏んでしまう、そういう中間制御のむずかしさを感じたことのある人に、すごくおすすめです。


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