まえにここに「過去の自分と結婚する感じで」というのを書いたことがあるのですが、先日そのかたが久しぶりに東京のヨガクラスに参加してくださり、いろいろな話を聞かせてくれました。いまは日本の南の地方で暮らしていらっしゃる。
わたしはいつかそこへ行くつもりで飛行機事情をいつもなんとなく気にしていて、先日知ったジェットスターの新路線就航を機にメールをしようと思っていたのだけど、その前に会って話せてよかった。近い空港が思っていた空港とはそもそも違っていたりして、やっぱり会って話せてよかった。
そして、聞いてみたらばお住まいはどうにも掃除だけで大変そうな大きな家だそう。でもほったらかしっぽい。いいね!
わたしにはもうひとり、そんなふうに大きな建物をエッサホイサとひとりで改装しながら暮らしている友人がいます。
なんて豪快な暮らしなのだと感動するほどデカい建物に、わたしよりも小さな人がペンキを塗ったりしながら住んでいます。見ているだけで、おもしろい。
いまわたしが東京で暮らしている住処ふたつぶんくらいのスペースを整えるところまでは済んでいて、まだまだスペースがいっぱい。「お化けが出ても、気づけないねぇこれでは」なんて話をしました。
彼女たちを見ていると、わたしが子どもの頃に見ていた「ふしぎな島のフローネ」というアニメを思い出します。でも現実のほうがそれを超えているところもある。
そのアニメの中のお父さん役もフローネ役も、彼女たちはひとり二役でこなしている。たくましい。年々、めきめき「八方美人」を脱していく。同時に、日焼けの度合いもうなぎのタレのように味わい深くなっている。
ここ数年で、わたしの周囲には自分の生きかたを自分で運用しはじめた人が、じわじわ増えています。世の中の流れもあるのかな。
そんな人たちから会いたいと言われると、わたしのようなチキンなコモノになんの協力ができるやら…と思うのだけど、なんだか共鳴ポイントは目に見えないところにあるようです。わたしはヨガクラスで体力を使うので生活はかなりローカロリーで静かなのですが、生活面で発揮される彼女らのような体力を見るとすごくうらやましくて、真似したくなります。
そして行ける場所が増えると、心のふるさとが増えるようで、うれしい。
わたしも、いつでも彼女たちが帰ってこられる場所を、自分の心のなかに持ち続けなくては。
身体は神殿とは、よくいったものだよねインド人。
<余談>
わたしはあまり「暮らしを創る」みたいなことが得意ではなくて、友人から "昭和のビジネスホテルみたい" といわれる環境で暮らしているのだけど、フローネさんのアドバイスで観葉植物を買って、置いてみました。
ソング・オブ・インディアという名前だけで買った植物。こうしてニコニコ座っているだけなのに、浄化をしてくれているらしい。ほんとかな。
名前がすてきだから、うそでもいいけどね。