うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

陰ヨガで意識のルートを確認する 慣れ→飽き→嫌悪感→理由づけ

先日このブログに陰ヨガの3〜5分のキープについて書きましたが、わたしはその後も練習のたびに振り返りの記録を続けています。

ほんの数行の付箋メモを、練習の後にそのシークエンスをやった場所に貼り付けて残しています。もはや日記ノートのよう。

陰ヨガのシークエンスは2〜3分のキープではなんてことなくても、そのポーズのほとんどが、4分を超えた頃になると「あなた普段もこの思考のパターン、踏んでない?」という課題を突きつけてきます。

 


これまで生徒として通ったスタジオで週に数回やっていたメニューは、キープは長くても3分。そこで起こる問題も「気が散る」程度のことで済んでいました。そこまで深く瞑想的にならず、ストレッチの延長のような感じでした。

 


いまは生徒としての通いの練習メニューをアクティブな(いわゆる陽の)ヨガに変え、陰ヨガは家で毎晩、タイマーを使って練習しています。
そのタイマーと自分の関係ひとつをとっても、3分を超えると自分の中のA子とB子がこんなふうにペチャクチャはじめる。

 


 「ちょいとそこのタイマー取って」

 

 「ダメよ。それでまだ3分だったら、あんたどうするのよ?」

 

 「どうもしないわよ。見るだけよ」

 

 「嘘おっしゃい。もうちょっと我慢しなさいよ」 

 

 「フン、なによ」

 

 「それはこっちのセリフよ。なによヒス!」

 


と、わたしの中の原節子と月丘夢路が、あるいは司葉子と岡田茉莉子が早口で女子会をはじめます。(ネタが昭和でごめんなさいよ! おばちゃんなもんで!)


━━ と、なんやかやと1分ほどやり過ごすし、そこで4分までなんとか漕ぎ着けても、ラスト1分は女子会の友人が「ヒス!」と指摘してくれたように(「ヒステリー」の略ね)、実際そういうことになる。
ラスト1分は、5秒がうんと長くなります。フルマラソンの35キロ以降と似ています。
ありがちなパターンは、だいたいこんな感じです。

 

  • 3分:その姿勢に慣れてくる
  • 3分半:飽きてくる。伸びているところに違和感を感じる
  • 4分:違和感に意識を向けると神経がピリピリし、それがイライラと連動する
  • 4分半:嫌悪感から紐づく連想が始まる
  • 5分:タイマーが鳴る。(ここで打ち止め)鳴ってくれないと負の妄想を始めていたかもしれないと思う


負の妄想というのは「タイマーを押した瞬間実は止まっていたのでは?」とか「アプリの不具合では?」とか、いいから我慢しろよとしか言いようのない、ただの言いがかり。アプリの不具合嫌疑なんて、もう完全に勘違いクレーマーの域です。
陰ヨガをしていると、発言や行為に発展しない「心の中の言いがかり」の存在が浮き彫りになり、「理由づけをしたい気持ち」を認める練習に発展する。
ここまでが、オンザマットの世界。

 


ヨガはマットの上で、日常で起こる感情を観察するものでもあり、日常はオフザマットと言われます。
ものごとが思い通りにならない時に、日常的にどうしているか。なんでも思い通りになることなんてないのでね。

 


わたしには、陰ヨガの4分〜5分の間に起こることが、まるでバガヴァッド・ギーター第2章63節のように感じられます。
これね。

怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生ずる。記憶の混乱から知性の喪失が生じ、知性の喪失から人は破壊する。
(上村勝彦 訳)

記憶の混乱と知性の喪失については、わたしはこの陰ヨガのサラ・パワーズさんの言葉では「自分でつくった物語ではなく」(34ページ)のところに該当すると思っています。

この部分については続けて書くと長くなるので、またそのうちに。

 

 

▼ご参考までに〜