月初恒例の会場予約作業をしていたら、過去に利用した施設で倫理的に問題のある使用があり(この件)、これまで同様の利用でも予約がなんだかややこしい感じになっていました。
目立つことなくセンス良く、とにかくいい感じの運用であったところに、このたびの件でものすごい数の問い合わせや矢が飛んできて慎重になっているのが伝わってきて、せつない。この問題があった日にわたしも同施設を利用していたのだけど、ぜんぜん気づかなかったわ〜ん。
こういうことがあると、これまでの利用者の経緯もいったん初期化されてしまう。初回同様の説明を求められる。「あやしみを含んだ審議の目」を向けられるとそれはちくりと痛むのだけど、ここは気力の出しどころ。あなたは悪くない、もちろんわたしも悪くない。と念仏のように唱える。
わたしはこの残念な慎重さにすごく共感してしまい、メンタルが四方八方で筋肉痛みたいな感じになっておりました。
こうなる気持ち、わかるんですよね…。たったひとりの人からのおどろきの依頼をきっかけに、要件不明な問いかけを全件スルーするという鎖国的スタンスを長く続けたことのあるわたしは、萎縮してしまう施設の人の気持ちが、自分のことのようによくわかるのです。
「あやしくないですよ〜。会ったことあるじゃない」というコミュニケーションをわたしが根気よくとったのはおとなの対応ということでなく、ただただ共感しているから。
こういうことがあると心を取り戻すのはたいへんむずかしい。でもそこがまた、人間に心があるところでもある。ひとたび信頼しちゃうと、多少を超えたサービスだってしちゃうんだもんね。
お人好しすぎたのかな…としょんぼりして、また立ち上がり、のくりかえし。このようにヒトもウナギのタレのように醸成されていくのですよね。あやしみによる初期化と裏切りの街角が無限ループだけど、なんとかいい感じでなにごとも回していきたいものです。