対談本です。あっという間に読んでしまいました。
茂木健一郎さんが河合隼雄さんの話を雑談から引き出すのがうまくて、立場が逆転したようなおもしろさです。
河合隼雄さんはこの本のなかで、長官職が忙しくてもちょっとした時間に臨床を続けている理由を以下のように語られています。
やっぱりやってないと、人間はだめになるんです、本当に。
臨床をやっていると、いかに自分が無力かということがよくわかりますから。やめるとね、なんでもかんでもできそうな気がして、威張れるんですけど(笑)。
(変化という「可能性」に注目する より)
全能感のような妙なエネルギーをコントロールすることの重要性を意識していないと、出てこない言葉。
「話を聞くだけで疲れてしまう人」というトピックで語られていたエピソードも印象深かったです。なにかを隠したままだったり、いちばん大事なことを言わずに一生懸命話されても聞く人は疲れるという話。そしてそういう人は人に嫌われてしまうという話。
この部分を読んで、夏目漱石の「門」という小説の中で、主人公が寺に修行に行ったときに僧からこんなことを言われる場面を思い出しました。
「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ」
「そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える」
「かまって」なら「かまって」を持ってきたのだいう自覚くらい持てというようなこの種の指摘に名前がないので、わたしはいつも「夏目漱石の "門" でいうところの "ぎろり"」という長い言いかたになってしまうのだけど、ここで河合隼雄さんが話されていることにも同じ要素があるように見えました。
海外でふてくされていたところをカリアッパさんというインド人に拾われてヨギになった中村天風さんが「人に好かれる人間になること」の重要性を説いている根拠も、ここなんじゃないかと思うんですよね。そういう「ここなんじゃないか」というゾーンを絶妙にえぐっている。
「変化」について語る部分が特に興味深い対談です。