うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

たとえば不毛

わたしはこの言葉を心底湧き出るような感情と紐づけて使ったことがありません。


 不毛


辞書には

1:土地がやせていて作物や草木が育たないこと。また、そのさま。「―な(の)地」
2:なんの進歩も成果も得られないこと。また、そのさま。

とあり、わたしは2の感じで知っていて、なんとなく「なんだかなぁ」という時に使っているようなそうでもないような言葉です。



わたしは「不毛」というのはなんとなくよいことというか、「つるつるで、きれい」という印象を先に抱いてしまい、以来よくないことの意味で使われていてもなんだかすっきりときれいな爽快感を伴ってしまい、感情とうまく紐づきません。アンチ・エイジングみたいに、アンチ・ヘアーな感じといったらわかります? 女性ならわかるかと。
たぶん同時期に覚えたであろう「ムダ毛」という言葉のインパクトと相関関係があります。



そんな「不毛」ですが、わたしは大人になってから辞書の1の意味で再び考えなおす機会がありました。
インドはたいそう暑い国で、あちこちでビビッドな花が咲きます。自然がギラギラしている。自然の力でできた歌舞伎町みたいなかんじ。そして人々の顔も濃い。これもまた自然物。
あるときインド人に「こんなにサンシャイン・パワーがあったら、野菜がすぐ育っちゃうね」と言ったら、「何回もたくさん収穫できる」と言われ、そのときはふーんという感じだったのですが、あとでインドに関するなにかの宗教的な本の注釈で「インドは二毛作三毛作いけるから布施はだいたいお米や農作物で、布施というのは恵みを還元するような感じ」というようなことを知りました。そんなこんなを経て「不毛=不作は残念」という感覚と意味が沁みるように入ってきました。



この認識を得るまで、感覚的に「不毛」という言葉がいい印象になっている状況を根っこから適正化するのは、案外むずかしいことでした。使っている言葉にはそれを発する人の思考の歴史のようなものが、しぶとく刻まれてしまうんですね。辞書の意味から大いに外れているのはわかっちゃいるけど、以前のわたしにとっては



 「ムダ毛の処理は不毛な作業」



などと言われたらもう下剋上が何回起こっているのかわからないよー! と混乱し、踊りだしてしまいそうでした。
よくよく考えると無毛ではなく不毛なのだよ、きみのイメージは無毛だろ。という話なのですが。
こういうことって、ありませんか?