角川インターネット講座というシリーズ本の中の一冊。
監修の川上量生さんのほか、小野ほりでいさんと荻上チキさんの文章も入っている、たいへん豪華に感じる構成。
ずっと言語化できなかったことがありありと書かれており、なんともいえないデトックス感があります。だって、こんな短い文字数で要約されてしまっている。
自分たちは無料であらゆる情報を入手できる情報強者である、と思っているネット原住民にとって、彼らを疎外した現実社会と同じような商業主義がインターネットの世界に入り込んでくるのは、彼らの優越感の根本を揺るがす大事件なのである。それに対する反発が嫌儲というものの正体であると考えてもいいだろう。
(「嫌儲び旗印を揚げる情報強者たち」川上量生 著より)
冒頭にネット旧大陸・新大陸という概念ですごくわかりやすい説明があり、その流れで最後まで一気読みさせてしまう文章。
ネット文化の根底に「嫌儲(けんもう)」というムードがあるということはぼんやり感じていたけど、「いやんもう」という読み方は知らなかった。
小野ほりでいさんは、期待以上に文章がおもしろくてびっくり。「自分を肯定してくれる人=いい人」の思考のおそろしさを随時ユーモラスに目の前に出していくセンスがすごい。
孤独というものは要するに、「単にすることがなくて暇だ」という事実と、「でも他人は楽しそうだ」という比較からくる悲しみや嫉妬をごちゃ混ぜにして言っているだけのことである。
言い換えれば、「孤独」とはヒマを他人のせいにする言葉なのである。
(「非リアと文化」小野ほりでい 著より)
ほかの言及も、ものすごい説得力。こりゃ大変なことだ。
ほかにも、山田奨治さんが執筆されていた「日本文化にみるコピペのルール」では、「二条河原落書」(1334年)を題材に「さながら、ネット・ショッピングのユーザー・レビューの雰囲気だっただろう。」なんて書いてあって、おもしろい。
ネット文化はリアルだけではわからなかった「思考の程度」を見せてくれる。いまはヤフーニュースへ行けばこんな老人になりたくないと思うコメントをたくさん見ることができて、精神的な老後の備えを考える材料がいっぱい。
海外で「ひとりで歩いていても大丈夫な場所」と「日が暮れてきたらヤバイ場所」の区別がつくような、ネット上でのそういう勘どころを養える本です。
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