開国以降の日本人の心の歴史を格闘技の変遷とともに紐解き、現代日本人のメンタリティの闇をブラジル人のヒクソン・グレイシーさんが教えてくださるという、なかなか興味深い内容であります。
これはダイヤモンド社だし思いっきりビジネスマン向けの本なのだけど、わたしにとってはヨガ本。もちろん心の中では「ヒクソン・グルジ」と呼んでおりますよ。この本は以前関連サイトを「ある道場で体験初日に破門された人の話」の末尾で紹介したので、わたしよりも先に読んだって人も多いかもしれませんが、ちょこっと、紹介しますね。ちょっと読んだら全部読みたくなっちゃうぞ〜。
<93ページ 自分を守る "シャボン玉" から飛び出す より>
私の最後の試合となった東京ドームでの対戦のような格闘技イベントに行くと、床には紙コップ一つおちていない。試合に動きがあると、観客全体がほとんど同じ瞬間に息を呑む。「ヒクソン! ヒクソン!」という声援が聞こえることもあるが、そのタイミングすらもほぼ同じだ。
後半の「そのタイミングすらもほぼ同じ」ってのが、鋭い指摘。
<204ページ 正しい道を進み、 "現代の戦士" となれ より>
私は、武士道を手放しで尊敬しているわけではない。実はサムライのように無感覚でいるほうが、生きるのは簡単だし、自分を最優先しない生き方のほうが楽だと思う。しかし、すでに述べたように、世界の中心が自分でないなら、もはや自分の人生だとはいえないのだ。
私がこの考えを伝えようとするとき、まず、「みなさんにとって、最も重要なことは何ですか?」と質問をする。すると、みんなは考える。そして、家族、成功すること、仕事、健康、その他いろいろな答えが返ってくるが、その中で「私の」という言葉を最初につけた人は、正しい道を進んでいる。自分以外のことを考えた人は、どこかに人生に自身がない人だ。そう、生きる目的がないということだ。
「自分を最優先しない生き方のほうが楽」というのは、ギーター3章35節の指摘そのものだわっ!
で、やっぱりこのかた、分析と戦略の人なんですね。
<39ページ 正しい答えは、いつも自分自身の中にある より>
私は道場のマットの上に "住んで" いて、そこで練習や試合をする人をいつも見ていた。父や兄たちが教えるところを見ていた。教わったことを練習する人々を見ていた。あらゆることをマットの上で目にし、体験した。
(中略)
みな闘う以上は、勝ちたいのだ。だから人格がいろいろな形をとって表れる。自分の中にある臆病な心が見えるかもしれないし、他の人を気遣う気持ちになるかもしれない。
道場でそう実感してきた私は、自分はどういう人間になりたいのかを考えるようになった。
観察って、自分に責任を持って自分を突き放して観るということができないと、できない。「うわ、このひと、イタいな……」って、後からでも自分のことを思えないとできない。
<54ページ 「恐怖」を完全に消し去る方法 より>
そうして私は気づいた。恐怖を克服する方法とは、まず何よりも問題を理解することなのだと。理解することで、問題にどのように対処すればいいのかを知ることができ、それが恐怖をやわらげ、ついには完全に消すことができるのだ。
理解するのって、しんどい。でも、この孤独な作業がだいじ。
<59ページ 人が怖がるのは、たいてい「知らない」もの より>
「もし……だったら」と考えるのは試合の前日までだ。当日の朝起きると、いつも私は「ああ、今日は、やるにもやられるにもいい天気だ」といえる状態だった。
<66ページ 勝つために負けを受け入れる より>
では何かを実現しようとする努力に意味はないのだろうか。失敗した人間は負け犬なのだろうか。それは絶対に違う。自分を信じられなくなって、進み続ける強さを失って負けたなら、それは気力で負けただけだ。人生そんなこともある。
いやんジゴロ。
<113ページ 目に見えないわずかな違いが、大きな力を生む より>
目に見えない技術を知ることは、目に見えない何かを読み取ることは違う。目に見えないほどの細かい違いを学ぶことだ。
サーンキヤ哲学で意識は「高いか低いか」ではなく「粗いか微細か」で語られる。さすがグルジ!
<135ページ 戦略は、状況に応じて変えていくもの より>
いつも同じ戦略を取る必要などない。だいたいの傾向は決まっているにしても、状況に応じて変えるべきだし、変化を受け入れなくてはならない。
(中略)
自分で立てた計画は実行するべきだが、もしそれが変わったとしても落ち込んだり、負けたとか、失敗したと考える必要もなければ、自分の責任だとか、将来性が失われたと思う必要もない。ただ、計画を変更するだけのことだ。
自分で判断して主体的に計画を変更する力のことをおっしゃってますよ。
<137ページ 戦略は、状況に応じて変えていくもの より>
私の理性は感情や心よりも強く、すべてを制御できる自制心がある。それが誰にとってもベストバランスだとは言わないが、男は生まれつき理性のほうが強いものだと思う。大切なのは、いつも心の声にも耳を傾けながら、理性と感情のどちらにも同じように向き合うことだ。
(中略)
私が経験から学んできたことは、「女はどう感じたかを離したい。だから男は、ただ聞いているだけでいい」。ところが問題は、たいていの男は最後まで聞いていられるほど辛抱強くないということだ。「要点から言ってくれ! 細かいことはどうでもいいんだ。で、何があった?」「だから話してるじゃない」。「まだ何も聞いていないぞ。関係ないことばかり言って。要するに、何だよ?」「だから説明してるじゃない。分ってないのよそっちは……」。女は、何についても、まずどう感じたかを説明しないではいられない。感情で話をするから、単なる出来事を先に言うのは難しいのだ。
「ヒクソンに聞け!」というラジオ恋愛相談番組があったら、わたしは毎週聴く。
<157ページ 自分の人生を変えられるのは自分だけ より>
夢は変わるものだし、戦略もまた変わる。落ち着いて状況さえ把握していればいい。変化に気を配りながら、欲しいものを手に入れる努力をすればいい。
グイグイくるねぇ。クリシュナみたい。
<176ページ 結果は考えず、今この瞬間だけに集中する より>
今、自分たちが時間を管理していると思えるのは、ある意味で、それができるようになったからだ。全ての予定を立てて、それをこなすために生きているだけで、今という特別な瞬間を生きているのではない。
もうインド人にしか見えない。
<200ページ 心の持ち方次第で、すべてが変わる より>
人がイメージする自分を演じていれば、人々の期待には応えられるかもしれない。しかしそれは本当の私ではない。ところが驚いたことに、自分ではなく他人に合わせて人の期待どおりの生き方をしている人がなんと多いことか。
まぁ人に実はそんなに期待されていないことに気づけばいい話でもある。
<218ページ 十年ごとに見直し、十年ごとに問いかける より>
インタビューを受けるときも、私は多くを語らないほうがいいと信じてきた。口にする言葉が少ないほど、人々の好奇心は増し、期待も膨らむ。インタビュアーから質問されたことを、何でもかんでもべらべらとしゃべってしまったら、人々が知りたいことなどなくなってしまうし、私のイメージが壊れたかもしれない。
それがもし、たった一つだけ短い格言を引用するか、質問について最小限のことしか答えなかったらどうだろう。私の立場は守られるし、ビジョンを伏せておける。他の意見やアイデアやアドバイスを取り入れる余地が残っている。それは私が勝つために必要なことだった。
「他の意見やアイデアやアドバイスを取り入れる余地を残す」って、ほんとうにだいじ。同時に「そこからはアドバイスいらないです」というところへ情報を出さない、というということでもあるのだろうな。
<255ページ 「愛」と「呼吸」── その偉大なる力 より>
普通の呼吸だけでは、十分な酸素を体に送ることができず、疲労した筋肉から乳酸を取り除くことができない。疲れると、気力がなくなり、頭も働かなくなるはずだ。私の場合は、腕が最も疲労し、疲れると動かなくなってしまう。しかし、腕が痙攣を起こしたときでも、酸素を多く取り入れる呼吸によって頭を冴え渡らせることができる。
疲労した筋肉から乳酸を取り除くことができないんですって!
ブラジルのスラムの人々とのコミュニケーションについて語られている内容もあり、そういう点でいうとインドのように「生まれた境遇」については思うところの多い状況で生きてきた人なのだろう。そこで嘆いて終わるか、嘆きを分解して自分のものにできるか。
そういう力強いメッセージが、あの「圧倒的な強さ」を見せつけてくれたヒクソン・グレイシーからヨギックに語られる。とんでもない本です。バガヴァッド・ギーターの3章35節が刺さる人にはこの本を、6章5節が刺さる人には「心との戦い方」をおすすめします。