日本の言語はとても特殊。これはインド思想を学ぶうえで、早めに知っておくとよい。
言語は身体から出るものなので、けっこう根深い相違点なのだけど、ここを理解すると格段に親しみやすくなります。
具体的には中村元先生の以下の解説のとおりなのですが、少しそのあとに噛み砕きますね。
インドの詩は、その言語の特殊な性格にも由来するのであろうが、主語と述語をはっきり具えていて、また主文と副文との関係が明らかである。ゆえにそこに用いられている言語素材に関しては散文の文章とほとんど相違がなく、ただ韻律や詩的な用語によって詩的情緒をただよわせるだけである。ところが日本人の歌は主語と述語が明瞭でないことがあり、また主文と副文との関係もはっきりしないことがある。論理的な構成の明示されている歌もあるが、それは日本人の審美感にとってはむしろ芸術的価値にとぼしいのである。まして俳句にいたっては語の省略は極端にまで行なわれそのために逆に一語一語のもたらす情緒的気分は非常に重要な意義をもっている。
(「日本人の思惟方法(中村元選集)」P409 日本人的思惟の語彙 より)
わたしはよく、「ギーターって、文はジッタリンジンの歌みたいなの」と言います。
あなたがわたしにくれたもの キリンが逆立ちしたピアス♪
あなたがわたしにくれたもの フラッグチェックのハンチング♪
文体自体はこんな淡白さなんだけど、この「キリン」「逆立ち」「チェック」などにいちいち意味があったりなにかの引用だったり、韻を踏んでいたりする感じなのです。
もしくは、こんな風に言います。
まっさんの関白宣言に、いちいち「おまえは」を挟んだような文章なの。と。
(おまえは)俺より先に 寝てはいけない♪
(おまえは)俺より後に 起きてもけない♪
ギーターは主体がはっきりした直接話法の文章で、時制も含みもない。
逆の立場で説明します。
もしインド人に
この味がいいねと君が言ったから 7月6日はサラダ記念日
といっても
- この味ってなんだ。
- 君って誰なんだ。
- 7月6日というのは、なんの儀式の日か。ヴェーダにそんなこと書いてあったか。
- なんでここでサラダが出てくるのだ。なんの引用だ。ウパニシャッドのどこにあるのか。
- そういっているお前はそもそも誰なんだ。
- そして誰に向かって言っているんだ。
ということになってしまいます。
よく翻訳しにくいといわれるこのフレーズも
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった
- トンネルを抜けたのは何者か。
- トンネルを抜けたことを認識したのは何者か。
- なんのために移動しているのだ。
- そこは雪の国だというが、出発した国との関係はどうなっているんだ。
- そもそも突然、おまえは誰だ。サンジャヤか? なに? カワバタ? そんな奴は知らんぞ。
ということになってしまいます。世界の KAWABATA だといっても通用しません。
ちなみにこの部分は英訳だと「The train came out of the long tunnel into the snow country.」になるそうです。う〜ん。感じが出ないねぇ。と思った人は、田中燗玉さんの「神の詩」からバガヴァッド・ギーターに入ることをおすすめします。言語の違いって、おもしろいんです。
わたしの説明はいつも喩えが昭和すぎてヤングをポカーンとさせてしまうのですが、「ごめん、ごめんね。置いてきぼりにして。あとでググッってね」って言うと、「はーい」といってくれるので助かります。いつもありがとうございます。
みなさんがわたしのふまじめさに寛容なおかげで、インド哲学の話をできる人がぼちぼち増えております。
▼聴きたくなってきた
ちなみにわたしは「にちようび」がすき。
ダーリン ラムネを買ってきて 二人で飲みましょ 散歩道 月が昇るまで〜♪
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ギーター調に変換〜
↓
買うことを行為せよ ラムネを二本 クンティー夫人の子よ
わたしは飲む あなたとともに 散歩道と呼ばれる場所 月は昇る
甥っ子をパシリにするクリシュナおじたん(ノ゚?゚)ノ
ラリルレイリラリルレイリラリルライリルーーー♪