沖正弘先生は「冥想」という綴りを用い、その教えを受けた内藤景代さんもこの綴りをされていて、この字の選択はとてもヴェーダンティックな理由(アートマンがブラフマンと一体化するのを目指す、宇宙観のあるメディテーション・スタイル)でしょう。日本の仏教で言うと空海さん。梵我一如のほう。
いま一般的な「瞑想」はこれに「目」が添えられているので、物理的に目を閉じて静かに座すこと。道元さんの、心身統一のほう。
今日はそれぞれの人がどんな意図を持っていたかという話ではなく、ひとりの人がひとつの小説の中で書き分けていたよぉ、という話。
そんなことをするのは、やっぱりこの人
漱石グルジ!
いくつかの出版社の文庫を確認したけど、やっぱり書き分けられてた。
漱石グルジの小説には「めいそう」という単語のほかにもヨーガ的な身体観を示す表現が多いのですが、この書き分けは「こころ」のなかにありました。
「上 先生と私」二十九より
犬と小供が去ったあと、広い若葉の園は再び故もとの静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖ざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前にある樹きは大概楓であったが、その枝に滴したたるように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日へでも出掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に瞑想から呼息を吹き返した人のように立ち上がった。
「もう、そろそろ帰りましょう。大分だいぶ日が永くなったようだが、やっぱりこう安閑としているうちには、いつの間にか暮れて行くんだね」
「沈黙に鎖ざされた人のようにしばらく動かずにいた」瞑想。先生が妙に執着する財産の問題で「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか」という会話の後の場面です。このときの空の変化の描写と、瞑想という表現のかけあわせかたがすごい。
「下 先生と遺書」十六より
「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸しみ渡らないうちに烟のごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想に耽ってでもいるかのように、他たの友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好いい仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合せとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥(はしゃ)ぎ廻まわって彼らを驚かした事もあります。
先生が自身の過去を語っています。恋の病でうわのそらのひとを「冥想に耽(ふけ)ってでもいるかのよう」だと周囲の人が見る、そういうちょっとおもしろい第三者的な描写の場面で使われています。
「こころ」は二度読むとゾクッとする、占い以上に怖い小説なんですよ。自身がどんな潜在意識を持ち、読みながらそこにどんな潜在印象を上書きして読んだかがあぶりだされるの。心の性癖(vasana)がべろーんと、つまびらかにされる。
日本にこんなすごい文学作品があったなんて! って、ほとんどの人が学生のときに国語の授業で存在は知っていても、やっぱり骨身に沁みて血肉に刺さるのは、人生経験を積んでからなんですね。