うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インターネットに永くいると屁の勘定をされますよ


Googleの広告が、もうええっちゅうくらい「ホワイトボードを買いませんか?」という広告を出してきます。検索ワードで出されています。あとは、居る場所のデータね。インドにいる間は、自分のブログを確認していると「デリーではたらく」なんて気の利いた広告が出たものです。
そんなこんなで、最近もうホワイトボードの用事はなくなったのに、まだ出てくる。そんなにいくつもいるものではない。



この感じは、なんとなく昔の東京と似ているらしい。明治39年夏目漱石作の「草枕」にこんな会話が出てくる。

「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」
「どうして」
「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀(しり)の穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」
「はあ、やはり衛生の方かな」
「衛生じゃありません。探偵の方です」

東京から熊本の温泉地へやってきている画家が、地元の人と話す場面。




「インターネットに永くいると検索の勘定をされますよ」
「どうして」
「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の検索を分析して、サイズがいろいろだの、送料無料だのって余計な事をやりますよ」




検索の勘定をする広告技術にもホワイトボードにも罪はないのだけど、「あー、屁の勘定をされてるわー」という気分になります(被害妄想家・笑)。


この感じを、漱石先生は改行なしでたたみかける。

世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝(さら)しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀(しり)に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々(にんにん)勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。

これは広告などの売込みに対してではなく、権威社会や監視される地域社会への不満なのだけど、にしても「人のひる屁の勘定」ってのがわたしにはどうにも「検索行動のおっかけ」と重なって感じられる。



漱石先生、おもろい〜。
「人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ」って、名言。