うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

歎異抄 梅原猛 校注・現代語訳(解説部)

歎異抄
今年に入ってから何度か歎異抄について書いていますが、この本は「解説部」と「各条」に分けて紹介しようと思います。過去に岩波版を紹介しているので、梅原版はあえて解説を先に。
この本は以下の要素でかなり立体的に徹底的に作られたフルコース。こんな本がこの値段で買えていいのかという驚愕プライスです。(わたしの手元にあるのは第一版が昭和47年のもので、220円と印刷されている)

  • 古文
  • その注釈
  • そのこころ(梅原氏の解釈)
  • 付録
  • 捕注
  • 現代語訳
  • 解説
  • 参考文献
  • 年表
  • 語彙索引


梅原先生ですから、強く情感もあってたまらない解釈・解説なのですが、この本については歎異抄のアウトライン・親鸞の生涯を語る「解説」部分を先に紹介したい。させて。「歎異抄」というのは内容以前に存在自体が歴史の大きな一ページ。梅原版はこの「存在感」を、解説でがっつり網羅してくれています。

<198ページより>
 この文章(第十三条のこと)には、『末燈鈔』に収められている親鸞の手紙への言及があるが、親鸞の手紙では、批判は憎悪の徒に向けられているのに、ここではかえって批判は偽善の徒に向けられている。唯円という人は、偽善告発の精神において、師の親鸞以上のものがあったようにすら思われる。私はここに『歎異抄』というものの特徴があると思う。おそろしいばかりの偽善の告発、パリサイ人への徹底的な否定。これを読んだ蓮如が心の中で深い感激を覚えつつ、「宿善の機なき者に見せてはいけない」と書きつけたのも、もっともなことであると私は思う。自己の内面にひそむ虚偽への徹底的な告発、それがこの『歎異抄』という本の異常な緊張感を形成しているのである。

この「異常な緊張感」を、親鸞目線・唯円目線・蓮如目線で読む。一粒で三度おいしい歎異抄。そしてさらに日蓮の存在にも触れる梅原版で、四度のおいしさへ。

<202ページより>
歎異抄』の第十条までの親鸞の言葉には、どこかにこの種のパラドックスが秘められている。そして第十一条以後の唯円のきびしい異端批判も、結局はこのパラドックスを認めず、宗教を知性や道徳に変えようとするパリサイ人へのきびしい批判なのである。第十一条、第十二条の学問化された宗教の批判、第十三条、第十四条の道徳化された宗教の批判、それらはすべて宗教を学問や道徳と連続して考えようとする思想の批判なのである。深い罪業の自覚の中に、限りない阿弥陀の光が訪れる。この苦悩と、この喜びなしに何の宗教があろうかと唯円はいいたいいのであろう。
 私は、このような内面性の自覚と宗教的パラドックスの提出を通じて、日本において初めて超越的な神が出現したのではないかと思う。親鸞が師法然から教えられた信仰は、専修念仏の信仰であった。専修というのは、阿弥陀仏以外の神や仏を信じないこと、つまり一神教の主張なのである。この一神教の崇拝によって初めて、日本において真の超越者への信仰の道が開かれたと私は思う。

「日本において初めて超越的な神が出現した」というのは大げさではなく、本当にそうであると思うのです。ながーい歴史の中ではパンタロンベルボトムとして再度流行し、さらにブーツカットになって再来するような阿弥陀信仰なのですが、そんな比較で浮き沈みする流行を超える。宗教が学問・道徳の延長線上を越える場面に親鸞がいる。

<175ページより>
彼のきびしい批判精神は何よりも自分自身に向けられるのである。何よりもお前が不純、お前が虚偽、お前の心に、どす黒い欲望がうずまいているではないか、欲望の名で青年、親鸞が、まず考えたのは、性欲と名誉欲であったろうが、年老いても、彼は、自己の心の深みにある性欲と名誉欲への反省を失わなかった。

これは男の人っぽい解説だなと思う。

<178ページより>
覚如の『親鸞伝』は、建仁三年(あるいは建仁元年ともいう)親鸞に六角堂の救世観音が「行者、宿報ありてもし女犯せば、われ玉の身となりて、犯されん。一生の間能く壮厳して臨終に引導して極楽に生ぜしめん」という偈を告げたと伝える。
 六角堂の救世観音は聖徳太子の化身であると伝えられるが、その偈は実に大胆な言葉である。
修行者よ、もしおまえがどうしても情欲を押さえられず女を犯したいなら、私が女の身となっておまえの欲望を満足させてやる。おまえが生きている限りは人生をはなやかでおごそかなものとし、そしておまえが死ぬときには私はおまえを導いて極楽浄土へ連れていってやろうという意味である。

有名な「女犯の夢」というエピソードなのですが、ソースは奥さん恵信尼が娘にあてた手紙にある。これはわたしの勝手な想像あそびなのだけど、「妻帯した僧」の妻という立場の風当たりを思った親鸞作のファンタジーだとしたら、それはそれでとってもリアルでいいなぁなどと思います。これはあくまでわたしの妄想。
まーそれにしても救世観音えらすぎ。至れり尽くせりですよね。しかもちゃんとセクシー美女に化身するし。

<187ページより> 
関東の教団には未曾有の混乱が起こった。親鸞を疑って長い間の信仰を捨てる人も続出したのである。こういう知らせに息子善鸞への信頼を捨て切れなかった親鸞は驚きつつ、その対策を考える。しかし、やがて真相が明らかになった。わが子善鸞こそ関東教団を混乱におとしいらしめた張本人、なのである。それを聞いて親鸞はわが子善鸞に絶縁状を書き、その後始末を関東教団におけるおも立った弟子に頼むのである。

息子の善鸞が父親である親鸞のことばの解釈を、いちばんそうとらえて欲しくなかった方向で唱えたことによる絶縁エピソード。

<198ページより> 特に『歎異抄』の第十三条は、読みようによってはたいへん危険な章である。一人も殺さぬも、千人を殺すも、全く過去の宿縁の結果であり、われわれは善悪をそのような宿業にまかせて、ひたすら念仏にはげめというのである。これは全く自力の放棄であり、道徳の否定であるようにすら見える。ここに本願ぼこり、造悪の徒への批判があるが、このような批判より、批判の中心は、このような造悪の徒を否定しようとするためにかえって偽善に堕した念仏者に向けられている。

十三条はほんと、びっくらこく章です。

<88ページ 捕注四「易行の一門」より>
難行・易行について最初に論じたのは、インドの竜樹菩薩(150-250年頃の大乗仏教の理論的大成者)の作といわれている『十住毘婆沙論』第九「易行品」である。竜樹は大人の志をもって仏道に励むものは、身命を惜しまずに、日々精進につとめ、難行道を進むべきであるが、怯弱下劣な人間にはそうはいかない。そこで、そのような人間にも仏の悟りの世界に行けるように説いたのが易行道で、十方にいる仏を敬い、その仏の名をとなえれば、仏の悟りの境地に到れるであろうと説いている。

これがのちの曇鸞、世親の『浄土論』に引用されていったのだそうです。親鸞は竜樹に始まる七人の僧を浄土教相承の七祖と敬慕していたという解説のこの部分を読んで、はじめて親鸞のルーツに竜樹があったことを知ったのですが、このふたりのつながりはとてもドスンとくるものがあります。
自身のちんけな邪欲を認め、聖人になんてそもそもなれない身の丈を感じながら生き、どこか綺麗ごとに夢中になれないスタンスが共通しています。(参考:龍樹の非哲学「タントラへの道」より


大乗仏教小乗仏教の違いのひとつの解釈に「仏陀は欲を認めたか認めなかったか」という切り分けかたがあるそうです。
仏教の教えは「欲を滅することがラクになる道」という軸だてで語られることが多いように見えて、その歴史のなかには大きなふたつの流れがある。
ヨガの教えは大乗的でありながら、その向き合い方の指南は小乗的な仕立てになっているものもあって、わたしはヨガに夢中になる過程で小乗的なノリに自分の船を設定することが過去にありました。
こうやって仏教の歴史を学んでいくと、視野のコントロールすらも包括したものとして「宗教なるものに向き合えるか」、そういうことを試されている気分になります。
竜樹から空海を経て親鸞へ。この流れを学ぶと、仏教の教えがぐっと日常におちてくる。わたしはたまたまこの流れをたどったけれど、いろいろな人がそれぞれのたどり方で感じている仏教があるんですよね。

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