これまで何冊も野口先生の本を紹介してきましたが、この本は野口イズムのダイジェスト版のような一冊。はじめて手に取りやすい、525円の小冊子。
他の本は整体や子育てを軸に組み立てられていますが、この本は野口先生の考え方が色濃く出た言葉が集められた編纂。読んだことのあるくだりも多いのですが、何度読んでもいろんな角度からグサグサきます。題材はごくごく日常のことばかり。
ぱっと開いたどのページにもあたたかい教えがあふれている、カイロのような本です。
<22ページ 本能の中にある衛生の働き より>
腐っていたら危険だというが、鴉はわざわざ腐りかけるのを待って食べている。鴉の食べる物は一番美味しい。私が新潟に疎開していたころに、あの柿は美味しそうだと、その熟すのを待っていると、必ず一足先に鴉に食べられてしまう。そこでしかたなく鴉のように木に登って食べましたが、確かにその方がずっと旨いのです。鴉は利口だなと思いました。牛肉でも腐りだす前になると美味しい。人間は無闇に腐るのを恐がって、新鮮な物だけを食べようとしているが、生き物には皆、そういう力があるのです。
食べごろ信仰よりも新鮮信仰のほうが、たしかに強いかもしれませんね。カラスを見ていると、その土地の人間と同じように、その風土を反映した生き方をしているように感じます。(関連過去ログ「カラスの体躯とエゴのサイズ」)
<36ページ 類は類をもって集まる より>
欲で繫がり合う場合には、それがどんなに綺麗な言葉で包んであっても、欲の気があったのです。悪い事を相談してそういう気になるのは、そういう気が中にあったからでしょう。
人間の気にはいろいろなものがあって、なかなか判らないものもあります。親切かと思っていると、存外、内側にあったものが欲だったということも時にある。中味によって引き合うものは皆違うけれども、同じ傾向の気は、同じ傾向の気に感応するということに変りはない。ベラベラ喋るエネルギーはあっても、散らかっている物を片付けるエネルギーはないという人が沢山おります。そういう人が愉気して手を当ててくれても、気はベラベラ喋る方にある。また「台所にお菓子が置いてあるが、愉気をしたらあれをくれるかしら」と気がお菓子に行っていたりする。それでは、気の感応で相手の元気を喚び出せるわけがない。
「いいんだよまっすぐ愚痴ってくれてさ」と思うことはとても多いのだけど、ポジティブ・コーティングしようとしてくれるのは、自分の状態がいいということなのかもしれないな。と思ったら少しやさしくなれそう。
<69ページ 愉気の本質 ─魂の感応─ より>
愉気というのは、いつ終るか判らないのです。感応する感じが起こって、もうよくなったという時に手を放すのですから、プロには出来ないのです。ある人には一時間愉気をしていた、ある人には一分で終ったというのでは具合い悪い。しかしその一分の方が本当はよく効いているのです。
人間の体は自然に完全に出来ているのですから、余分のことをするのは少ないほどよい。手で触ることも余分なことですから、短く簡単で、少なく、あるかないか判らない力で経過するのが一番よく、あるらしくやるのはよくない。草臥れるまでやるのはもっとよくない。実際は触らないで、顔を見ただけでよくなるのが理想なのです。
「ある」と思われることを想定して用意しようとしたって、増えたり減ったり、貸し借りできるものじゃないしね。
<82ページ 寝相 より>
寝相が悪いのも一つの活元運動です。寝相が悪いうちは疲れを翌日に持ち越さないで、朝起きると潑剌としています。
疲労というものは、体の一部の筋の張弛が鈍くなって硬化した現象をいうのですが、この部分の硬化を張弛できるよう弾力性を恢復するようにしむければ、疲労は自然に消失いたします。(中略)寝相が悪いということは、この疲労調整を無意志でやっているのです。
「食べっぷりが豪快な人が好き♪」というのは聞いたことがあるけれど、「寝かたが豪快な女子はよろし」という時代はやってこないのだろうか。重くなくて明るくて夜は静か、なんて、無いものねだりではなかろうか。わたしは、シーツが渦巻状になるくらいよく動いているみたい。シーツが語ってる。
<88ページ 生きものの要求 ─本能の知恵─ より>
人間の体は自分でつくってきたものです。母親の体の中で、必要なものを自分で集めて、自分の体をつくってきている。キュウリとナスの種子を同じ土で育てても、キュウリは緑になるし、ナスは紫色になる。そのような、種子になる元の生の要求の方向に合う物質を、みんな自分で集めて、そして自分で自分自身の体をつくってきている。今、こうして見ることのできる体は、自分で必要な物質を集めてつくった結果なのです。その以前にある見えない力で物質を集めてきたのです。そういう物質を集める見えない働きのほうが、人間の実質であるといわなくてはならないのです。
野口先生のカルマ論。「自分で集めた」というはたらきの説明。日本人はキュウリやナスに喩えてもらえるとわかりやすいね。状態をバター(ギー)に喩えるインド人の気持ちがよくわかる。
<92ページ 体の正しい使い方 より>
近ごろの片カナの病気のほとんどは、薬によって造られたものです。健康保険制度ができて、薬が安く使えるようになったら、人間が丈夫になったかというと、決してそうではない。みんな逆の方向に行っている。
病気が先か、薬が先か。
<95ページ 錐体外路系の重要性 より>
意識しての運動は、左の頭で命令して右の頭を動かし、右の頭で命令して左の体を動かしますが、この命令を伝えるのが生理学でいう "錐体路" であって、錐体路は後頭部で交叉しております。ですから、右の脳溢血を起こして錐体路が毀れると左の半身不随となり、左の脳溢血を起こすと右の半身不随となります。
意識の心臓のような位置。
<121ページ 相互運動 より>
活元運動や相互運動をしていると、病気を治してもらおうというような考えなど無くなって、自分の体力を発揮して自分で丈夫になることを考えるようになる。これがいのちの姿勢を正すということに連らなる。
沖先生が「ヨガによる 病気をなおす知恵」に書いていた質問リストも同じことで、要は「なおりたいって、心から思ってる?」ってことなんだよね。
<148ページ 質疑応答 活元運動 より>
(ある質問への解答から)
人間というのはおかしなもので、健康になりたい人もある代りに、病気になりたい人もいるのです。そういう要求が強い人は、相互運動をやっても病気になります。ですから相互運動をやる前に、一応お互いに活元運動をやって、そしてお互いに健康になりたいという要求を確かめ合って、それから相互運動をやるのが安全です。
野口先生の本を読んでいると、沖先生がいくぶんまろやかに見えてくるからすごい。野口先生は、語調がたまに仕様書っぽい。言い切りを超えている。
<156ページ 質疑応答 睡眠・栄養について より>
(ある質問への解答から)
眠れないという人は、眠ろうとする意欲に対して眠れないだけで、体の必要な眠りは充分に取っているのです。だから眠れないという人は贅沢だと思います。
胃が大きくなっている状態と似ているんだな。
<159ページ 質疑応答 睡眠・栄養について より>
【質問】体が野菜を食べたい、肉を食べたいと要求しても、今の食糧品は防腐剤や着色剤が入っていたりしているんですが……。
(解答の後半)
まあ活元運動をやっている人達は、あまり食品公害などの問題を考えないでも良いのではないかと思うのです。極端な場合を除いては。
悪い空気にも耐えられ、汚ない食物にも耐えられる体を作るように、東京の生活をお使いになれば将来役に立つと思います。
これです。ここです。野口イズム。
<160ページ 体癖について 質疑応答 より>
【質問】体癖 ということについて、ご説明ください。
【答】体の運動の癖です。前に屈む癖があったり、後に反る癖があったり、左に偏ったり、捻れたりする癖があります。意識しての運動の中にそういう無意識の運動が混じるのです。多分それは体の欠点を補償する活元運動的なものだと思うのです。誰にでもそういう運動が混じっている。その結果、体が或る方向に余分に動くとか、或る方向には敏感に感じるが、或る方向には感じないという部分が出来てくるのです。そこで、その部分が体の色々の故障や、体の使い方にも影響するわけです。
(中略)
例えば捻れる癖のある人がいるとしますね。そういう人は歩いていてもお尻を振るのです。後から観れば判るのです。しかし当人はお尻を振って歩いているとは思わない。それは骨盤の位置が片側は縮んで、片側が開いているというような場合に、これを調整しようとしてお尻を振るのです。というのは、縮んでいる側は歩幅が短く、開いている側は歩幅が長いのです。だから真直ぐ歩くためには無意識のうちにお尻を大きく振って調整する、つまり骨盤の位置に対して、無意識にそれを調整しようとする要求が生じているのだと思うのです。その要求の現われとしてお尻を振る。
(中略)
例えば腰が硬張って前に屈んでいる人は、肩に力を入れ、肩を後ろに引いてバランスをとっている。歩いていても無意識に肩を前後させて、力を入れている。そういう人は皆、腰椎の五番という処、腰の一番下の骨の可動性が鈍っている。そういう人達は皆前屈してしまう。と同時に後に手を組んだりして、前屈してしまう傾向に対してバランスをとる動作も無意識にやっているのです。そして前屈する癖のある人は、知らない間に、卑屈になるとか、余分に内攻してしまうとか、又逆に余分に行動的になるとか、体の使い方と同じように、心の動きにも癖が生じてくるのです。それまで心の癖だと考えられていたものでも、実際は体の癖である場合も多いのです。
「意識しての運動の中にそういう無意識の運動が混じる」。普段から歪みや姿勢を意識する人が増えると、補正のための動きがかえって色濃く出るので特徴は見やすくなっていると思います。よく「姿勢がいいね」と言われている人は肩甲骨を寄せすぎて背面が極端に狭くなっていることが多いし、でも「気持ちの鎧」はしっかり喉の裏に出ていたりする。私服のときは、選ぶ服装まで含めて体癖なんだよね。
<164ページ 活元運動の歴史について 質疑応答 より>
【質問】活元運動の歴史を、簡単にご説明ください。
【答】(末尾より)
内閣の総理府で「国民体力つくり」というのを始め、整体協会もその一員として参加したのですが、行ってみると、栄養物を沢山摂らせるというような、意識で工夫することしか考えていないのです。無意識の運動を亢めるということが、体力づくりをすすめていく上での大きな問題である筈なのに、それに気づかない。そこで、こちらはこちらの立場で、活元運動を公開することにしたのです。
野口先生の著作には、この時代に注目されて、さまざまなことに応対してみたけれど……というエピソードが多い。こういう記録って、残したほうがいいと思うんです。「うまくやろうとしなかった」事実は、やっぱり力強い。
野口先生の本の中ではいささかジゴロ度が弱めではありますが、寒い冬にそっと心に忍ばせたい一冊です。