うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

情報の海の中で感じること

マスクは子供用
写真はただのマスクです。ここ数日、微熱状態のまま日々を送っていました。乾燥しすぎだよね。
風邪にしろ酔いにしろ寝起きにしろ、すこしボーっとしながら乗り物の中にいると頭が勝手に妄想をはじめて、そこから思考が展開する。
うちこの携帯メモには、こういうおかしなときの妄想ログがけっこうあって、断片テキストをあとで読んでもさっぱり繋がらない。そんな使えないメモばかりのなか、わりとまとまっていると感じた考えがあったので書いてみます。



「自分で紙幣をつくって、かっこいいとかシブいとかイケてるなんていう基準で交換する仕組みになっていたら、どうだろう。なんか楽しそう!」
なんてことを、ふと考えていた。デザインといわれるもの。



物々交換の話だよね、といえばそういうことなのだけど、物々交換になると「利便性」に価値が寄る。
いまは便利なモノが豊富だから、あえてそっちはさておき、「美」に要点をおいてみる。


情報の価値も、似ているところがある。
発信者が生み出すもののなかにある考え方や思想、感覚と構成技術のバランスから「その人間」のデザイン力がほかの人に認識される。いろいろな人のブログやサイトを見てみると、いま溢れている情報のなかにはいくつかの種類がある。


 【1】なにかをする手順、ノウハウ
 【2】素材を扱う行為についての思想や理論
 【3】素材のスペック、素材にまつわる逸話


「便利」に近いのが【1】。「美」に近いのが【2】。「ありがたい」のが【3】。


【3】を参考に素材をより深く知り、素材とともに自分で動きながら培ったものと【2】の情報を照らし合わせて、「なるほど」となる。そこをを行ったり来たりするのは楽しい。
【1】はたぶん、【3】と【2】の「いったりきたりの楽しさ」にともなう「めんどう」をショートカットしてさしあげましょう、ということでできあがっているのだけど、いまひとつ「できあがりの重量感」がつかめないので、読んだり見たりしていても疲れる。「むなしい」という感覚に近い疲労感。



 「宝物の重量感」が感じられないと、「宝の地図ふうのもの」を見せられてもピンとこないのだ。



効率化とか合理化で時間を短縮して睡眠時間を増やしたり、短時間でも質のよい睡眠を得るなどして、、、
で、宝はどんなものなのだろう。「睡眠」がオチでいいの?「痩せる」がオチでいいの?



余談だけど、ブログというのは書いている側から見るとこんなふうに見える。


【1】を書くと一時的にページビューが増えて、
【2】を書くとリピーターさんが増える
【3】は書く技量がないけれど、素材の情報として存在する場合と、【1】や【2】のような情報の中で「材料として」存在する場合がある。
検索エンジンアルゴリズム」は、【3】をどうやって分類して重みづけするかを、ずっと考えているのではないか。出版の部数も、【1】と【2】の性質は似ているように見える。



「情報」ってやつは、いつの時代もその存在ごと読みとることを楽しむものなんだろうな。
むしろ、「そこまで読まないと楽しめない」というものかもしれない。
(どうやらわたしは、発熱すると考えすぎてしまうようです)