うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヒマラヤ診療旅行 ― 村人に虫歯はなかった 岩坪れい子 著

ヒマラヤ診療旅行―村人に虫歯はなかっ
昭和59年の本です。ネパールへ歯の診療旅行へ行った歯科医さんの旅行記。お医者さんの旅行記であり、かつ時代感もありで、文章自体は親の世代の人の手記を見ているような感じです。


昭和35年から蔗糖の消費とともに日本人の子供に虫歯が増えた時代は歯科医不足だったそうです。著者さんは、ネパールで砂糖を獲らず、歯ブラシを持たないカラコラムの子供たちの歯の美しさに感動したと書いています。
まだ情報が少ない時代のネパール行きなので、旅のいきさつまでの話がとても大変なこととして書かれている。面白いのは、カトマンズ入りしてから現地へ行くまでのところ。インドと似ているのだなぁと思いながら読みました。人との交流が読みどころです。

<21ページ 雑踏の街カトマンズ より>
 シャルマさんは三十七歳。前途洋々の観光省登山局長である。彼は私たちの診療活動の計画を奇特な志であると感謝した。話がはずんでくると、彼は近代医療といえども、人間の運命を変えることはできぬといい、さらに輪廻の思想についてしゃべりまくり、夜中の二時、ヘルメットをかぶり、ブルンブルンと爆音高く、単車で帰っていった。事故をおこさぬようにというと、自分はまだ死なないことになっているから大丈夫だと答えた。

おもしろいよねぇ。わたしの友達のシャルマさんも同じようなことを言います。
under control があるから大丈夫だよ、って。

<32ページ 陸路でネパールガンジへ より>
 十時二十五分に出発したのに、十時四十三分に給油。なぜ出発前に入れておかぬのかと思う。しかし、これは私たち現代日本人的な発想だろう。


(中略)


 午後四時五分、ムクリン着。車がとまると、褐色の皮に中身の白い、噛みしめるとシャリッとするココナッツをお盆にのせて、子供たちが売りにくる。年をきくと、知らないという。


(中略)


 黒のスカートに赤のふちどり、水色のブラウスを着、短いブルカで顔をおおい、頭には丸い帽子の回教徒の女の子がいる。ここでも回教徒寺院が眼に入る。川原の砂の上に、鮮やかな水色の鳥がいた。女たちはグリーン、水色、黒、赤などといろいろに衣装をとりあわているが、ここの自然界の動物の鮮やかな色を真似ているのかもしれない。

アジアの旅は、いつもこういうことが強く印象に残る。

<42ページ 陸路でネパールガンジへ より>
 時間が長びいたので、通訳のダワが心配して迎えにきてくれた。私はダワと一緒に空港ビルに戻り、荷物を入れる許可をもらったことを、先ほどそれをことわった管制塔の男に告げる。男は、「そこは番人の泊るところだ。アナンダさんが本当にオーケーと言ったのか確認するまで、荷物を運ぶのは待ってくれ」と言う。はい、待ちましょう。
 これだけの交渉に二時間かかった。みなはどこにいるのか。すでに空港の片隅にテントがはられている。何たることだ。荷物はすでに全部、近くのわらぶきの家に入ってしまっているではないか。いったいボハラは何を連絡しに帰ったのか。私はこの二時間、何のための努力をしたのか。だれが命令をし、だれが決定をし、だれが責任をとるのか。私たちは組織として行動しているのではないのか。バハラとサンゲは、怒るな、怒るなと私をなだめる。腹がたつよりもいやになる。

そして「普通」という単語を自分の辞書から捨ててしまうことを覚える。これも旅の学びなんだよなぁ。

<57ページ ジプシー生活 ヒンズーのお祭り より>
ティカはそもそもはヒンズーの神の足についたほこりだという。人びとがひれ伏して、神の足のほこりを額につけたのがはじまりらしい。赤いティカは、いけにえの血で神の足がいつも染められていたためであるという。今は赤やオレンジなど、粉の色は何種類もある。通りすがりの女の子が、パレットのような皿に粉をといたものを持っていて、私の額に指でつけてくれた。

いけにえの血の色なのか。知らなかった。雅な意味合いだと思っていた。

<96ページ 診療所開設 より>
ネパール系の人たちは、チベット系山岳民のことを「ボテ」と呼び、彼らは不潔で、怠惰で、一妻多夫でと軽蔑しているが、はたして本当はどうなのであろう。

インドもそうだけど、こういう上下関係の単語は多い。蔑視のタグ付けがたくさんある。

<101ページ 診療所開設 より>
村人は紙を使わない。便は自然に土に還る。いかに食べ、いかに排泄するかということは、生命を維持するためにもっとも大切なことである。他人の便と自分のとをついつい見較べる。固まったいい便が出ていると、自分もあんなのを出さねばとコンプレックスを持つ。到着して日が経ち、体調が安定してくると、便のにおいが良くなって、量も多くなってきた。
 ここシコミットの人は山を向いて用をたす。私たち日本人は谷を向いて用をたす。量が多くなるとつかえそうで、途中引っ越しをしなければならない。この点、山を向く方法がいい。前回のカラコラムのとき、私はトイレを探すのにたいへん神経質であった。今回は、これはごく自然の行為なのだから、とあつかましくなり、しゃがんでいて村人が通っても、こちらから大きな声で「ナマステ」(こんにちは)と声をかける。すると村人は、わき目もふらずに「ナマステ」と応えて通り過ぎてくれる。カラコラムでは、こういうふうにはいかなかった。麦畑の間から、じいっと見つめている女や子供の頭があちこちにあった。

もう、何をそんなに守ったり隠したりしたいのかと。そんなことを思うことはよくある。

<109ページ ドザム村へ出張診療 より>
やがて小石を積みあげたチョルテン(仏塔。病気、災害を除くために村人が作る)が一つ。少し先に、またチョルテンが三つかたまっている。

自然と、祈りと。ネパールやチベットのお話にはこういう「積み上げる」祈りや修行がよく出てくる。こういう描写を読むと、いつか行ってみたいと思う。

<121ページ ドザム村へ出張診療 より>
 村人の代表、つまり昨日泊った家の弟のほうがやって来て、通訳のダワを通じて、私たちの診療は検診であって、治療ではないと文句を言う。たしかに、骨を折り、位置がずれたまま治療したような患者が来ても、ここでは手術をすることはできないし、リハビリテーションをしてあげることもできない。レントゲン撮影も、血液や尿の検査もできない。患者の訴えをきき、全身状態をみて判断し、その症状を軽くするような投薬しかできないのである。急性化膿性疾患のようなものであれば、抗生物質が劇的に効力を発揮することは事実ではあるけれど。
 大湊さんは、産婦人科医として、避妊の手術や子宮筋腫の手術をしてあげたいというが、設備の点で、とうてい不可能だ。私たちが来ることに絶大な期待を抱いていた人たちの失望と落胆はわかる。シコミットでも、チャンダさんが同じような発言をした。限られた期間で、限られた用具と薬品とで、私たちのできることには限界がある。今回の結果を、私たちはきちんと整理し、ネパール政府とWHOニレポートして、今後のネパールの医学発展のお手伝いができればよいと思うとチャンダさんに話し、彼はその事情を理解してくれたが、ここドザムの村人たちの理解を得るのはむつかしい。

こういう文句を言われる場面の描写には、いろいろなことを思う。ものすごく原始的で普遍的なことなのだな。そして、次の話もまた印象深い。

<123ページ ドザム村へ出張診療 より>
 村人たちは診療のお礼に、小さな玉子二個とか、お米を手のひらに少々とかを届けてくれる。カラコラムとの違いは、ここの人たちがウェットであることだ。心情は気候と関係しているのだろうか。砂漠に近いカラコラムの人々はドライであった。もっと薬をよこせと強要した。私のはいている靴、着ているシャツまでくれと言った。

心情と気候の関係は、あるねぇと感じることが多いけど、どこへいっても「できてる」人はいたりする。外国人に対する対応が「できてる」だけなのかもしれないけれど。

<124ページ ドザム村へ出張診療 より>
 私たちは面白い光景を見た。一人の男が羊の肉や五ルピィ札を村人に配っている。私は賭けに負けた男だと思った。ネトラ君は、それはザリだと教えてくれた。
 ザリとは、ある男性が人妻と姦通したことが発覚した場合、罰として、男性が相手の夫にお金を支払い、村人たちには羊を与える行為をさす。お金がなければ、毛布とか何か、自分の財産を村人に分け与え、ゆるしを請うのだそうだ。これは、年に一度ぐらいおこるという。愉快な話ではないか。たとえ、どちらが誘惑したとしても、男性がその責めをおい、村人に恥ずかしい顔をさらして謝罪する。村人たちは、たぶん、このことを酒のさかなにしてチャンを飲み、羊のご馳走にありつくというわけである。男はその村を追われることもなく、日ごとにその噂のうすれてゆくのを待つ。

晒すとか吊るし上げるとかってことと、お金がカラリとパッケージになっていて驚いた。「やりましたか。そうですか。では・・・」という許しのシステム。そこから不安の種類に応じてルールが量産される方向へ向かわない、すごく進んだ仕組みと感じる。

<140ページ 斑状歯の出現 より>
 シコミットの東の集落の飲料水中のフッ素濃度は一・○ppm、西の集落では三・五ppmという高濃度であることが、日本へ水を持ち帰って分析した結果、判明した。これは歯牙に斑状歯を惹起させるのに十分な濃度である。
 検診をおこなったときに、強い白斑あるいは着色を、うかつにもフッ素によるものと判断しえなかった。またカルテには、住所はシコミット村と記載しただけで、東集落と西集落の区別ができていない。彼らはカーストが違い、決して同じ水を口にしないということに、私たちはまだ気づいていなかった。

ここも興味深かった。

<145ページ 歯のすりへり より>
 シコミットはネパール西北部にあり、東・中部にくらべるとかなり乾燥しているといわれる。それでもモンスーンの影響を受け、年間降雨量は五○○〜一○○○ミリぐらいはある。年間一○○〜二○○ミリのカラコラムとはまったく異なる。森林が育ち、飲み水には透明で砂のまったくまじっていない地下水を使う。またカラコラムのように、夏の午後におこるサンド・ストームに襲われることもないため、すりへりの程度ははるかに少ない。しかし早くは十歳ぐらいから、なんらかのすりへりが認められ、程度の差はあるものの、全体の七二%にも達する。
 いわゆる未開の人種は、固い生の果実や、砂のまじった食物を食べているので、咬耗が激しい。日本でも石器時代古墳時代の人びとの歯は、現在よりはるかに咬耗していたといわれる。カラコラムで見られたような歯冠がほとんど消失するような咬耗は、歯周組織(歯をとりまいている組織、すなわち歯肉、歯根膜、セメント質、歯槽骨)に対して悪影響をもたらすと考えられるが、それほどいちじるしくない程度に歯が咬耗することは、歯の叢生(歯の萌出空隙の不足によって生じる個個の歯のはえ方の異常)を、隣接面の磨耗によって解消し、歯周組織にむしろよい影響となってあらわれるという説もある。
 とにかくカラコラムのいちじるしい咬耗は、やはり、飲み水に混入する砂であることが確認できたと思う。食事の内容においては、ほとんど差はないのであるから。

スリ・ユクテスワ師の「聖なる科学」で歯に興味をもったけど、この話も面白い。

<178ページ 米の配給に列をつくる村人 より>
 赤ちゃんはたいてい素っ裸で、全身にティル油をぬられて黒光りしている。赤ちゃんには栄養失調も多いが、まるまると手足のくびれのできているのもいる。太っている赤ちゃんを見ると心がなごむ。貧しそうな服装の母親でも、赤ちゃんはまるまる太っていることもある。子供に食べさせる親の努力と、子供の食べる能力できまってくるようだ。

「子供に食べさせる親の努力と、子供の食べる能力」。責任感を履き違えないバランス。

<192ページ サルタン山に登る より>
 ダワも少しお酒がまわってきた。彼はふだん無口であるが、少しアルコールが入ると、饒舌になる。チャンダさんは、カメラマンが写真をとりまわるのも、歯の写真を私たちがとるのも、すべて自分の許可のもとにやってほしい、とダワに言ったそうだ。ダワがすかさず、私たちはカトマンズで政府の許可を得てやっているのだと言うと、彼はだまったという。調子のいいことを言っていながら、チャンダさんはけっこう意地悪だ。ダワ、よくやったとほめる。こんなときのためにも、正式のパーミッションは絶対に必要だったのだ。

この本は、こういう「権威好きマインド」のエピソードがよく出てくるのが面白かった。


ヒンドゥー教の人の「権威」に対する執着は、びっくりしたりうんざりしたりおかしかったりするのだけど、みんなそうなんだよね。それが、伝統として当たり前に継承されている国ってだけなんだ。
日本のいろいろなことも、あっちの人にしてみれば、「格差がどうこうって、なにいまさら言ってんの?」という感じなんだろうな。
「人の心には、そういう種があるんだもん」というのが当たり前にあることで、足を引っ張ることのバリエーションとか、それを正義として語るためのルールが増えにくいバランスになっているように思えてならない。
最近はもうすっかり欧米方式のサイクルになっていると感じることが多いのが、少し残念なこのごろです。

日本は欧米よりもネパールに近い国なのだけど、情報が位置や距離を越えることを進化のように感じながら、「自然」よりも「不安を解消する不自然」に寄りかかる。
お金も自然物の一部と考えれば、これもまた自然なのだけど。