うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

権威と権力 ― いうことをきかせる原理・きく原理 なだいなだ 著

不眠症諸君!」同様、話は相談者との対談形式で展開します。この本の対話の相棒は高校生。「クラス委員をやっているのだけど、クラスにぜんぜんまとまりがないのです」というところから始まります。
医師である著者さんは青年相手の口調なのだけど、青年の返しがいい感じでオトナで、分解作業はクールなのに文体がすごく読みやすいという仕上がり。「輸出されたインド人グルとアメリカ人の対話」のようないらだちなく読めます(笑)。なださんの本はほんと、いいですよ。


この本は昭和49年の本。オイルショックの翌年です。「実際はそんなに不足していなかったのに、人々がモノ不足だと思い込んで買い占めに走った」というエピソードが出てきます。これをいま読むのがおもしろい。
そして、先に感じたことをひとつだけ小出しにしておくと、この本は


「自分で調べて対応できない人は、権威でなんとかならないかと考える」


ということのからくりを解剖していく。そんな内容です。
後半は思いっきり濃く、

<127ページ 現実と私たちをひきはなすもの より>
医師:ベルグソンの影響を強くうけたミンコウスキーは、人間が妄想を持つようになるのは、人間が《生きた現実との接触を失う》からだということを発見した。ぼくたちが、現実に触れずに権威によってものを判断しようとする時、妄想的になっていくことはたしかだね。

高校生相手ですよ、センセ(笑)。ということになっていきますが、全般読みやすいです。


わくわくしますね。何箇所かご紹介します。

<44ページ 権威の落ちたあと より>
医師:権威が失われたと思う人は、もう少しびしびしやれというが、それで権威は取りもどせるだろうか。
青年:いいえ。ただ権力的になるだけです。
医師:個人の権威は、人を従わせるのに、規則を必要としない。だが、権力は、規則や法を必要とするといえるね。
青年:ええ。
医師:規則や法は、文章だけだったら、何の意味もない。それをやぶったものを罰する、処分する、というおどしが必要だ。力が必要だ。
青年:そうでしょう。

権威について、「規則や法を必要としない力」か、と思ったと同時に「証明書」を欲しがる心理について考えてみた。「魔法の杖」のようにとらえるられる「資格」へ向かう心理は「プチ権威欲」か。

<55ページ いうことをきく、きかせる より>
医師:もし、辞書に印刷のあやまりがあるとする。たまたま、君が、それを見つけたとする。といっても、自分の書いている字と辞書の字とがちがっていることに気がつくわけだけれど。すると君は、自分がまちがっていたのだと思う。辞書がまちがっているのに……。
青年:ええ。
医師:辞書に強制されているのかね。そう信じろと……。
青年:いいえ、そんなことはありません。
医師:命令されているのかね。
青年:いいえ。
医師:とすると、君は自分から辞書を正しいと信じ、進んで辞書に従おうとするわけだ。
青年:そうです。
医師:つまり、強制もされず、命令もされないのに、自分から進んで、信じ服従しようとするところがあるわけだ。
青年:ええ。

「強制もされず、命令もされないのに、自分から進んで、信じ服従しようとする」。「権威」って、誰の中で発生するの? という投げかけとして、「辞書」はすごくわかりやすい題材。

<62ページ いうことをきかせる より>
医師:権威も権力も、いうことをきき、きかせる原理に関係している。権威は、ぼくたちに、自発的にいうことをきかせる。しかし、権力は、無理にいうことをきかせる。そして、今のぼくたちの社会は、少し、それがくずれかけてはいるけれど、この権力と権威が二重うつしの一つのイメージを作っていて、それがぼくたちにいうことをきかせ、まとまりを作らせている。こういうわけだね。
青年:ええ。
医師:そして、昔は、どうも権威だけでいうことをきく人が多かったらしい。権力は、人間を支配するのに不要だったようだ。だから、昔の交通に不便な、組織や機構のこまごまと作れない時代に、大帝国をまとめあげることもできたのだ。なにによってだね。宗教によってだよ。古代国家が祭政一致でなりたっていたのは、そのためだよ。しかし次第に、権威と支配されるものとの間に、権威を後ろだてにして、間にはさまるように権力というものが、現われてきた。だから、権力者は、力でいうことをきかせようとする時も、《誰々の名において》とか《何々の名において》という習慣がある。こんなふうに考えられるね。
青年:ええ、これで、かなりよくわかって来ました。

「権威を後ろだてにして、間にはさまるように権力というものが、現われてきた」。
ふわっとなんとかバランスさせておくしかない感じ。腰椎と椎間板みたいなものね。

<72ページ 依存と権威 より>
青年:権威を感じ、いうことをきく人間は、依存者の心理を持っているということですか。
医師:そう思うね。たとえば、権威的な人間関係が強調される時、かならずといっていいほど、もちだされるのが親子関係の比喩なのだ。


(中略)


医師:神と人間の関係は……。
青年:神を父とし、人間を子供とみなしていますね。

高校生をオトナ設定にしすぎですよ、センセ(笑)。

<94ページ 医者という職業 より>
医師:たいがいの人間は、他人と自分を比較するんだ。他人のものさしで、自分をはかるのだな。たとえば、ほかの人間で、自分と同じように飲んでいるものがいる。それを見て、あいつは、あんなに飲んでいてよいのに、どうして自分だけが、飲んではいけないのか。そう考えるのだ。ところが、一人一人の事情はみなちがう。糖尿病の人間は、他の人がいくらぼたもちを四コも五コも食べたって、自分とは関係はない。自分は食べられないのだと思う。ところが、アル中の方は、他人と自分を比較ばかりしているために、自分の条件が考えられないから、やめようとしない。そうした人間に、自分を見つめさせるのだよ。
青年:なるほど。
医師:そうすれば、ぼくが、命令をしないでも、患者は本来、自分のおかれた状況で自分がやらなければならないことを見つけて、自分でやりはじめる。やらなければならぬことを、教えてやるだけでね。
青年:それを、他の人たちは、医者のいうことをきいた、と見るわけですね。
医師:そうなんだ。また、自分でも、そう感じちゃうわけなんだ。

他の本でもそうですが、この最後の一行は、いつもの著者さんのスタンス。
煩悩に悩む青年坊主みたいな精神科医っぷりが、この著者さんの最大の魅力。

<100ページ 名医の信仰 より>
医師:なおしてもらおうという気持ちがあるから名医が作られるんだ。自分でなおすのだ、医者は助言者だと思えば名医など必要はなくなる。
青年:それは、わかるような気がします。

このへんから完全に、医師のほうが青年に悩みをきいてもらっちゃってる。おもろい。

<214ページ 全体と部分 より>
医師:ぼくたちは、とかく全体というものを考え、そして個々のものを、部分と考えがちなのさ。しかし、全体というものは、観念の中にしかない。現実にあるものは、個々のものだけなのだ。それが、忘れられているように思うのだよ。
青年:たとえば。
医師:ぼくたちは、一つの組織に属しているように感じている。そして組織なしには自分がないように思う。その逆に、自分たちなしには、組織はありえないとは思わないんだ。そして、組織を有機体のように考えてしまう。組織が生きて行動するものであるかのようにね。しかし、組織の意思なんてない。一人一人の人間しか、意志も、感情も持たないものなのさ。一人一人の人間が行動しなければ、組織だけが自分で動くことはない。組織の意識とか、組織の行動と呼ばれるものは、擬人化していっているだけのことなんだ。そして、組織の意志というのも、実をいえば、誰かの意志なのだ。


(中略)


目的も理想も、生きた人間しか持てないわけだから、結局は、誰かが、組織の名において、犠牲を強いていることになるのですね。

「自分たちなしには、組織はありえないとは思わないんだ。そして、組織を有機体のように考えてしまう」。
ここ、ジャック・ウェルチよりわかりやすいよ。

<220ページ 理想への距離 より>
医師:それよりも、権威をただ認めない人間がいることの方が、権威というものは傷つけられるんじゃなかろうかね。
青年:おそらく、そうでしょう。
医師:それだから、非暴力の抵抗というものに意味があるんじゃなかろうか。非暴力は、権力をうばおうというものではない。権力は、非暴力の抵抗者に、自分が倒されることを、なにもおそれる必要はないんだね。
青年:そうです。それは純粋の抵抗ですからね。

ガンジー作戦。

<229ページ 理想への距離 より>
医師:雲の上という表現があるだろう。この表現は象徴的だと思う。明治の自由民権運動の歴史を読んでいても、天皇をとりまく官僚たちが、いかに天皇と反対派を直接に接触させまいと努力したかが、よくわかるよ。大隈重信が明治十四年に政府から追い出された時、大隈は直接天皇に面会したかった。天皇の意図と、岩倉や伊藤の意図とが、同じなのかをたしかめたかった。しかし、岩倉たちは、それをさせなかった。そして、自分の意志は天皇の意志であり、自分たちと天皇は一体であると答えるばかりだったのだね。
青年:なるほど。天皇の意志をたしかめようもないものにしたのか。そうすることで、自分たちへの反対は天皇に対する反対だとしてしまうことができたのですね。

歴史の授業はいつも落書きタイムだったけど、こういう切り口だとどんどん入ってくる。


仕事や組織、家族や親戚、恋愛。人間関係のさまざまなことになぞらえて頷くところが多い内容。
なるべくルールなしで朗らかでいられるのがよい関係で、ルールを明示するかしないかは方法の違いってだけ。「ルール化して納得して、不安をなくしたい」という気持ちとバランスしながら、自分のこころの生命力を確認しながら日々暮らす。愛って、生命力だ。
そんな気持ちになる、とてもよい心の体操指南書でした。


★なだいなださんの本の感想はこちらの本棚にまとめてあります。