うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インド人(前半) ギーターンジャリ・スーザン コラナド 著

パスポート用事務手続きで区役所で待たされている間、地域情報と世界の国の本を集めたミニ図書コーナーみたいなスペースがあり、そこでパラパラと読んで気になって、あらためて図書館で借りました。2000年の本です。
わたしがはじめてインドでプチ・ホームステイをしたのは2002年。デリーの中流家庭にもインターネットが普及した頃でした。
今のインドは携帯電話がものすごい勢いで拡がっている。街の警官の数も増えてる。デリーには地下鉄が走ってる。電車はネットでバッチリ予約できて、Eチケット。
結婚の環境も変わってる。ステイ先のサプナちゃんはネットで知り合った男性と結婚して、もうマタジ(お母さん)になっている。わたしがステイしていた2002年頃は、彼女の兄たちにお見合いのレジュメが届きまくっていたことを思うと、彼女の結婚のスタイルは斬新。


そうはいってもインドのことは、北インドの一部のことしか知らなかったりします。ヨガ師匠はコルカタの人なので普段なにげなく話すインドの習慣を聞いていると、デリーの家族の感じとはまた違ったりする。ほかにもステイ先の親戚の家を廻ったり、リシケシで知り合ったインド人たちと交流していると、地域によって暮らしぶりはぜんぜん違う。そして南インドはまたずいぶんと違うカルチャーがあるようで、この本は南インドの習慣を特に興味深く読みました。
あと、ひとつ大事なところとして、読み始めてみたら、アンベードカルの言葉の引用から始まる章で不可触民(ダリット)のこともちゃんと書いてある。そこが適当だったりすると信頼して読み進める気合がいまひとつだったりするのだけど、ちゃんと触れられていました。著者さん(女性)の視点がとっても現代的でよいです。日本人感覚。とても情報量の多い本なので、2回に分けて紹介します。

今日は、「インドの扉」「インド人の世界観」「前世と来世のはざまで」「家庭と社会のネットワーク」の4章まで。ページ順は前後しますが、今回は似た話題を並べるように書きます。

<15ページ インド人の見分け方 より>
本書を読んでいくうちに、読者は繰り返し登場するテーマに気がつくだろう。すなわち、インド社会という広大な生地を織りなすあまりの多様さと、同時に、個別の要素に観察される驚くべき類似性である。これを自分で見分けるコツを身につけるには、多少の時間を要する。しかし、たとえ一生涯インドの端から端まで旅をしたとしても、その秘密のすべてを解く鍵を手にすることもない。インド人でさえ、ある特定の地方や社会階層の出身の者が、ほかの地方や階層の人々について、なんら知識を持ちあわせていない場合がほとんどである。

デリーの家族とガンジーの墓へ観光へ行ったとき、観光ガイドの人が団体に向けて話しているのを見て「ぼくはあの人たちの話すインド語、わかりません。インドは言葉がたくさんあるからね」ってラフルが言っていて、ほかにも、「あの人たちが何をしているのかわかりませんが、とにかくお祈りね」みたいな説明を何度も受けたのを思い出しました。

<19ページ 出身地クイズ、ヒントは姓 より>
伝統的なスィク教徒の姓はすべて「スィン」である。ただし、スィンのすべてがスィク教徒であるとはかぎらない。スィンの姓は、北インドのウッタル・プラデーュやビハール(地主カーストである場合が多い)、西インドのラージャスターンの各地方(王室などの高カースト)にも見られる。
「チャタルジー」、「バネルジー」、「ムケルジー」はベンガル地方の高カーストに属する姓である。「ボース」、「ゴーシュ」、「グプタ」は、同じベンガル地方でも、ほかのカーストに属した姓として知られる。「マジュムダル」なら、グジャラート地方とベンガル地方のどちらでもありうる。
 たとえば、「ガーワスカル」や「ラナデー」など、後ろに「カル」や「デー」がつく姓はマハーラシュトラ地方固有のものである。
「チェリアン」、「クリヤン」、「ヤコブ」はいずれもケーララ地方のシリヤ教会の信徒の姓。「メノン」、「ナーイル」であれば、ケーララ地方のヒンドゥー教徒の姓となる。
 一方、典型的なタミル地方の姓には「シュリニヴァーサン」、「パドゥマナーバン」、「クリシュナマーチャリ」などがあって、このように多くの音節を含んでいれば、たいていは南インド出身であることがわかる。
 出会うインド人すべての姓が、「シャルマ」や「マルホートラ」であったとしても驚いてはいけない。インドでは、ある特定の社会階層の人と接しているかぎり、びっくりするほど姓が一致している。これだけ多くの人々がいて、それぞれ姓をもっているにもかかわらず、そのすべてが同じであるような気さえしてしまう。

ここは、単純に、メモ。よくあるヨギのびっくり系ストーリーにはベンガルのお名前が多いなぁ。マハーラシュトラ地方の「カル」の代表はもちろん、アンベードカル菩薩。

<25ページ 10億人がひしめく国 より>
七世紀に書かれた愛の手引書『カーマ・スートラ』によれば、性生活上の好みも土地ごとにさまざまであるという。「中部地方の女性は、爪を押されたり噛まれたりするのを好まず、またアパラーンタカ(インド西部のコンカン地方)の女性はきわめて情熱的で、やがてシーッという音を立てる」とある。

意外と細かいのね。

<35ページ アーリヤ民族とヴェーダ時代 より>
 インダス文明は前二三○○年ごろに栄えたのち、前一七○○ごろには衰退してしまう。その理由は謎のままである。そののち、前一五○○年ごろには北方からアーリヤ民族が移住してくることになる。アーリヤ民族は、牧草地を求めて牛とともに移動する牧畜民であったが、安住し、土地を耕すようになった。
 賛歌『リグ・ヴェーダ』が編纂されたのはちょうどこのころである。

リグ・ヴェーダ』がめちゃくちゃ昔すぎて、驚く。

<48ページ ガンディーの挑戦 より>
 イギリスの世俗的な考え方こそが、インド人にみずからの道徳や信仰を見直す機会を与えたといえる。こうした探求が、ガンディー(本名モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー)のさまざまな挑戦や、彼のヒンドゥー教への再考をうながしていくことにもなった。
 マハートマー(偉大なる魂の意)・ガンディーは、インドの伝統を基盤にしながら、それらにまったく新たな方向づけをすることで独立運動を展開させていった。彼は、ジャイナ教などのアヒンサー(非暴力)の理念を政治活動の原動力として用い、武力行使よりもはるかに効果的に、イギリス統治を弱体化させることに成功した。
 インド哲学では「サティヤ」すなわち真理を、暴力を用いずに成就することを「サティヤーグラハ」と呼ぶが、これはつまり抵抗をしないということである。きわめて不当で強固な相手でも、この正義と真実の力の前に引き下がらざるをえなくなる。ガンディーはこれを闘争のいちばんの手段とした。

「原動力として用い」「手段とした」などの言葉の選び方に、信用できる著者さんだなぁと思う。

<62ページ 不可触民のアイデンティティ より>
 ガンディーは「不可触民」という汚名に対して、「神の子」という意味の「ハリジャン」と名づけることによって解決を試みようとした。しかし現在、彼らは同情の対象として庇護されることを拒んでいる。むしろみずからを「ダリト」(虐げられた者)と呼ぶことでアイデンティティを強化する道を選んでいる。
 一九五○年に制定されたインド共和国憲法は、それまでカースト制度がもっていた準法的根拠をなくし、すべての国民を法の前で平等とした。しかし現実には、この一人一票の投票権の原則は、カースト別の政治代表者を出すという「カースト主義」を温存する結果を生んだ。つまり、カースト制度史上はじめて、支配カーストは、カースト間の衝突を巧みに操作することで利益を得る手段をもったのである。

ちゃんと、説明してくれてるんです。この本。

<58ページ 行為の法則、カルマ より>
もしこの平静さに哲学的根拠があるとすれば、それは「行為」と「行為の結果」という分かちがたいふたつの意味をもつ、カルマ(業)の教義のなかに見出せるだろう。(中略)ヒンドゥー教徒は射手のたとえを用いてこの法則を説明する。つまり、いったん放たれた矢はだれにも制御できない。それは前世のカルマであり、自然の経過をたどるしかないのだ。神々でさえ、すでに行われた結果を変える力はない。ただし、つがえられ的を定められた矢(現在の行為)と、まだ矢筒のなかにある矢(前世に積んだ徳)については、射手は完全にコントロールできる。

すごくわかりやすい喩えだったので、メモ。

<76ページ インドの女性像 より>
 ラージャスターンはいまも中世さながらで、最近も、夫の遺体が焼かれる火に妻が飛び込むという出来事が起こった。これは、古来の貞女の鑑とされる理想に従った行為である。また都市部では、理想という口実もなく、ただビデオデッキや冷蔵庫をもう一台、持参金によって手に入れたいがために、花嫁が燃やされる。しかもニューデリーだけでも、一日に一人以上という割合で起こっているのだ。

うちこはこの話を何年か前に師匠から聞いて「女の子は、油かけて殺されちゃうネ」と言われてびっくりした。

<131ページ 花嫁持参金殺人事件 より>
 結婚のときに、花嫁側が花婿側に渡さなければならない持参金(ダウリー)は、結婚の負の部分である。花嫁殺傷はその最たるものだ。花婿の側は現金のほかに、自動車、冷蔵庫、テレビにビデオデッキなどを要求し、その要求は結婚式後に、よりいっそうエスカレートする。花嫁の家族が要求に応じられなくなると、若い花嫁は石油をかけられ、生きたまま燃やされてしまうこともある。こうすれば、花婿は再び新しい花嫁からバイクやテレビを手に入れることができるからである。これは発展途上地域の無教育の人々が犯した珍しい凶悪犯罪ではなく、大都会の中流のインド人のあいだで起こっている事件なのである。

「母」と「嫁」の、この扱いの違い。

<100ページ 戦士の気風と五つのK より>
スィク教の教えは最初から、世俗的行為を放棄することなく、実生活と精神性をつなぐものであった。ムガル帝国の皇帝ジャハーンギールが、第五代グル、グル・アルジュン・スィンを拷問にかけて殺したとき、第六代グルはその継承の儀礼の際に、戦士の衣装に身を包んで臨んだ。それ以後、不正に対して武器をとることが彼らの宗教的教義となっていった。

「実生活と精神性をつなぐもの」というので興味がわきました。

<105ページ 拝火信仰、ゾロアスター教 より>
パールスィーは数は少ないが、実業家として高い地位に上り、社会的に影響力をもっている者が多い。ターターとゴドゥレージというふたつのパールスィーの名前は、一般家庭にも広く知られている。ふたつともインドの一大産業グループで、塩や石鹸から、鍵やトラックにまでその名前を見出すことができる。

知らなかったぁぁぁ。

<107ページ カーストを否定した仏教 より>
 彼(ブッダ)は当時のバラモン至上主義に、深刻な脅威を与えた。なぜなら、彼はカースト制度の不公平さや、司祭によって牛耳られた神像崇拝の儀礼や供犠を攻撃し、みずからの苦行によって解脱を求めることができるという思想を広めたからである。こうして彼の教えは、社会的地位は低いものの経済的に力をもっていた商人階級と、社会的にも経済的にも力をもたないカースト下層民らの支持を得た。そしてその教えは仏教と呼ばれアジアに広がり、独自に発展していったにもかかわらず、インドにおいてはヒンドゥー教に飲み込まれ、その本来の思想は薄められてしまった。神の存在を否定していたブッダは、ヒンドゥーの神々のなかのヴィシュヌ神の化身のひとつに組み込まれさえしてしまう。

化身ってことにしちゃうって、ほんとびっくりなんですよ。

<126ページ 誕生日のプレゼント より>
一般のインド人は、最初の誕生日以外、誕生日にあまり注意を払わない。誕生日を祝うにしても、子供に新しい服を買ってやるとか、学校の友達にお菓子を配る程度のことをしているにすぎない。

師匠のふるさと方面(コルカタ)では、「誕生日を祝うと寿命が縮まる」からってことで、やらないらしいです。「生まれてきたね! おめでとう」ではなく「生まれちゃったね。はいもうひと生涯、がんばって」だからかと思ったら、違う理由みたい。



インドには、ほんとうに縁起かつぎのような習慣・風習がいっぱい。
こう、「とにかくいっぱいなんだよ」というのを感じられる本です。

次回の後半では、「インド流コミュニケーション」の章以降をご紹介します。

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