うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨガによる人間回復への道〈2〉沖正弘 著

ヨガによる人間回復への道〈2〉沖正弘
今年のはじめに図書館で「ヨガによる人間回復への道〈1〉」を見つけて読んで、〈2〉のほうも読みたかったのだけど図書館になくて、ショボーンとしていたのですが、親切な沖ヨガのかたが貸してくださいました。ファミコン世代のわたしはご存命中の沖先生にはお会いできなかったけれど、こうして時代を経ても、直弟子さんたちから親切にしていただけるというのは、ありがたいことです。

さて、この本は昭和62年の本ですが、沖ヨガではさまざまな小冊子が発刊されていて、それらのなかでも昭和36年の著作から多くの記述が盛り込まれています。そのころが、いちばんいろいろなお話に油がのっていたのかな。ほぼ1と同じようなつくりなので、便宜上2冊になってます、続きです、みたいな感じです。
沖先生の本はハズレがないといつも書いているので言うまでもないのですが、これもすばらしい。サラリーマン向けの良書。普及しまくっている本ではないので、少しでもこの場でその素晴らしいマインドと教えをお伝えできればと思います。
ではでは、いきます。

<25ページ 『一生を生かす心』に生きる より>
 ヨガの生き方は「自分のために」であってもいけない。「他人のために」であってもいけない。自他をのりこえた全人類のためへの心、全生物のためへの「空」の心こそ、一生を生かす心(真の愛)である。
 よい仕事は誰がなしてもよいのである。その仕事が全世界人類の幸福に役立てば、それでよいのである。人類は生活をするようにできている。他人が代表していても、自分のことのように喜べる心をもっていてこそ、真の共同生活が行われていくのである。互いが互いの幸福と成長を祈りあえる自他一如の生き方をしてこそ、この共同生活の上に光は輝くのである。

「よい仕事は誰がなしてもよい」。ほんと、そうですよ。


<42ページ 人の心は高めていける より>
 多くの人は、良くなりたいと願いつつ、その願いを育てていない。私にはできないとか、私はだめだとか、その願いを殺してしまう。願いを殺すことは自分を殺すことである。実行である。一途なる実行である。行いつづける一念の生活が、自己の運命をつくるのである。これがヨギの生き方である。健康と幸福の基礎は心力と体力である。心力と体力をじゅうぶんにすることに真剣になろう。自分の中に力を養いさえすればかならず夢(願)は実現するのである。

「実行である。一途なる実行である。」はい。


<45ページ 本能的な健康開発 より>
 ハタヨガというのは本能開発を行なうもので、どのヨガでも学ばなければなりません。ところが多くの人は、ハタヨガ的なもの、本能的な健康開発のことをヨガだと思っています。それらはヨガの基本的なものであって、これにカルマヨガとか、ラージャヨガ、あるいはブッディヨガまたはジュニャーナヨガなどを加えてやらなければ「ヨガ」ではありません。
 社会の要求に応えるところの才能というものを開発している人にとって、不景気も、失敗も、失業も、生活苦もないはずです。もしもそれがあるとすれば、それは社会の欲求に応えていないからです。そこでその要求にこたえるためには、自己自身に本来与えられているところの本能的な力を最上に開発すると同時に、社会に貢献し得るところの自己自身の才能を開発しなければなりませんが、このふたつの力をいかに開発していくかを探求するのが「ヨガ」なのです。

「それは社会の欲求に応えていないからです」バッサリ。気持ちええ!


<55ページ ハタヨガ+各種の修行=ヨガ より>
ハタヨガだけをやっていたら動物に近づくだけです。ハタヨガをすることによって、できるだけ私たちの身体を原始時代に近い状態にし、さらに他のヨガによって、私たちの思考作用、思考能力を正しく開発できるような技術を身につけて、知性を最上に開発していきます。このふたつをあわせたものがヨガなのです。

原始的なパワーを備えた現代人であれと。


<69ページ 無要求になること より>
 抑制する働きと高揚する働き、制御する心と高揚する心がぴったりといっしょになっていれば統一されます。この練習をするためには放下する練習をすることです。坐禅というのは放下の練習であって、物事を考える練習ではありません。考えない練習、忘れる練習、これが坐禅であり冥行法です。何かをつかまえてやろうと思って坐ったり、悟ろうと思って坐ったら、それは坐禅ではありません。
ただ坐る、なぜただ坐るか? それは忘れるため、忘れる技術、忘れ得る心を身につけるために坐るのです。そのように坐ると、思うことと忘れることがいっしょになり、いつも興奮しない状態、何もない状態、動揺のない状態になります。あるけども放下するから、つかまえることと放すことがいっしょになるから動揺がないのです。つかまえてつかまえる、放して放すというのでは意味がありません。つかまえて放す、つかまえて放す、これを瞬間的にするのです。これが統一された心、放下する心です。統一された心を作るために必要なことは坐禅であり、坐禅はただ坐って、放下し、忘れることを練習するのです。ただ坐る、ただひたすら坐るのです。

「忘れ得る心」。とても素晴らしい解説。


<169ページ 解脱を求めて その五  動物と人間についての語らい より>
 動物の動き方を観察すると、彼らは動くことと同様に休むことを重要視しているようだ。彼らの用のないときの動き方は、実にゆったりしている。人間のように緊張の連続ではない。目的に対するときの動きは全緊張の姿である。休むときの姿は完全にくつろいである。彼らの生き方にはむだもなければむりもない。その姿はそのままで美しい。そのまま美しいのが真実ではなかろうか。人間の美は加工の美である。人間に欠けているのはくつろぎではなかろうか。ヨガではくつろぎを重要視する。人間はやたらにきばり、やたらにこって、むりをして疲れ死んでいるのではなかろうか。
 なぜ人間はこうもこるのであろうか。これには心理的原因がある。求めすぎるからだ。利を追いすぎるからだ。勝手に悪を想像してはおそれるからだ。動物の生き方は、今日は今日で足れり、のように見受けられる。

未来の欲のぶんまで重ねて持つから、守りたくなって執着してしまうんですよね。


<182ページ ヨガと断食 絶つということ より>
 絶つということは無関係になるということではない。その物の真実の価値を知るためである。一度家や社会を離れてみるとよい、しみじみとそのありがたあが身にしみてくるものである。食物のありがたさも、ほんとうの栄養も、断食後に初めて知るのである。こうしてヨガでは慣れることの弊害を除去するために、ときどき断食行法を行なうのである。

「ETC1000円」で消耗するドライブの後に気づく、「やっぱりうちが一番だわ」ってやつも、学び。


<212ページ 踵と足の角度 より>
 ハイヒールをはいたり、外股に足を開いて歩いたりするのは不健康をつくる原因である。ハイヒールを用いるとアキレス腱が縮み、足のふたつの骨(脛骨と腓骨)の間隔がひらき、そのために骨盤がひらき、腹の力がぬけ、おまけに後屈姿勢になる。腸、生殖器、泌尿器および心臓病患者がこの体型の人に多いのはこのためである。

わたしはヒールをあまり履かないのだけど、それでもアキレス腱は短い。世のヒール女子に片っ端から教えてあげたくなったりするのですが、やりません(笑)。


<265ページ アサンスについて その二 ヨガの道 より>
 宇宙に現われる現象に偶然はない。すべては必然である。この理由から、ただやればよいのではなくて、正しく行わなければ、正しい結果は現われてこないのである。
形の真似だけしてヨガと思う人がいる。また、まちがった方法をまちがっていることを知らずに行なって、そのために生じた悪結果を自己の不明と気づかずに、ヨガの責任にする人も多い。これはまちがいである。ヨガを行なう人が、ヨガをヨガたらしむるためには、常に正否を探求しつつ行なうジュニャーナヨガ的態度が必要であることを力説する次第である。このような理由からも、ヨガでは独習、独行の危険性と、グル(師)につくことの必要性を説いているのである。

ミクロコスモス(体内の宇宙)に現われる現象にも、本当に偶然がないです。呼吸と動かし方のすべてがひとつになっている。何年同じポーズをやっていても、気づくことがどんどん出てくるんです。その気づきのためにも、基礎は、しっかり学んだほうがいいです。


<296ページ なぜ人間だけが弱いのか より>
 医学、薬学、治療法の発達は、先輩の血と涙の努力のおかげである。その業績に対しては感謝しなければならない。しかしそのおかげで誤った方向にいってしまったことと、その弊害をうけていることも自覚しなければならない。
 それは本来の内在力の働きこそ真実のものであり、この力を呼び起こし、その働きを高め、強め、整えること以外に、ほんとうの解決法はないのであるという真実を忘れてしまったことである。しかもこの無自覚が人間の思考傾向や行動を誤った方向にもっていってしまったのである。この誤りが内なる力を眠らせてしまう結果をも生みだし、そのために人類は不健康になってしまったのである。
 すなわち、誤った観念から、自分を他物で守ること、かばうこと、その世話になることを主として考えはじめ、この内在する真力を強めることの必要性を忘れてしまったのである。

重要な指摘。


<303ページ インドだより その三 長寿のヨギに会う より>
(デェオラハア・)バーバが弟子に長生の秘法としてのアサンス・プラナヤマをやらしてみせてくれ、その食事法も教えてくれました。インドならではの体験です。とにかく感じのいいおじさんでした。どうみても六十歳くらいにしかみえないのですがね。ヨガナンダも弟子だったといっていました。
 (七月十九日 インド ベナレスにて 沖 正弘)

ヨガナンダさんの記述があったので、いちおうメモ。



さて、ここからはいつも素晴らしい回答が見どころの、質疑応答の紹介です。
冒頭に、編集者の鴻巣盛兄氏が、以下の事前説明を添えています。

 沖正弘聖師は、「人を見て法を説く」教え方をされましたから、各質問に対しても、そのひとに合うようひとつの方向にしぼって具体的にお答えになられております。ここに収録した質問は、だれもがもっている疑問でもあるので、ヨガ修行をしている人にとってはもちろんのこと、一般の方々の道標にもなると信じます。

以下はすごくちゃんとした文章なのですが、映像などを見ると、質問者へは「貴様」か「お前」で回答されてました(笑)。

<379ページ 質疑応答 心の構造 より>
Q:心の構造とそのからくりをくわしく説明して下さい。
A:心の構造をくわしくとのことですが、これだけで数冊の本ができるほどですので、簡単に申しあげましょう。心は四つの意識がひとつになっています。現在意識、無意識、潜在意識、根本意識です。
 現在意識は自覚できる心で、これによって意志したり、批判したり、決心したり、判断したりしています。無意識はこまかくわかれますが、一口にいうと習慣意識です。いつの間にか身についてしまったもので考えてみてもわからない心です。潜在意識は先天的(遺伝的)なもので生まれたときから身についているものです。この潜在意識は無意識の中にいれてもよいかもしれませんが、一応わけてみました。この無意識、潜在意識は考えてみてもわからないものです。心身一如としてその人の全体となっているものです。この心のちがいが気質、体質のちがいの個性別をつくっているのです。
 私達はこの心に支配されています。この心を観念というのですが、この心の思うようにしか思えないし、感じるようにしか感じられないし、動くようにしか動けないわえです。自己の中に存在して自己を支配している働きです。この心をヨガの方ではアラヤシキといっています。
 根本意識というのは一番奥の心です。私達を生かしているものです。これはつかまえられません。中心的なものです。真我とか、神経とか、霊意識とか、プルシャとかいっているものです。

ほんとすばらしい説明。編集者さんの腕もあるのだと思うけど、この簡潔さ、ほんと無駄がない。


<394ページ 質疑応答 ヨガを学ぶときのアサンスやプラナヤマの重要性 より>
Q:ヨガを学ぶときアサンスやプラナヤマはどのような重要性があるのでしょうか。これらをせずに、最後のゴールであるところの悟り、解脱、自覚には到達しないでしょうか。
A:アサンスやプラナヤマをやることがヨガの目的ではありません。これらは次のステップ、すなわち心のコントロールの訓練(ラジャヨガ)のための前段階です。これらをマスターしておくと精神統一とか禅定が行ないやすくなります。
 身体の働きに異常があっては心のコントロールはできません。感情とか気分とかは生理現象ですから、生理状態および生理変化のままに心もまた変化します。
 プラナヤマの訓練をしておくと、ダラナ(精神統一)が行ないやすいし、アサンスをしておくと坐禅が行ないやすいからやるのです。プラナヤマによってナディスは浄化されて、チャクラやクンダリーニを覚醒強化しやすくなります。
 生命の働きの目に見えるものが身体の働きで、目に見えないものが心の働きです。アサンスとプラナヤマ、すなわち解剖学的方法と生理学的方法によって、身体の働きを正常化すると、心の働きもまた正常化されやすいわけです。
 アサンスやプラナヤマは悟りへ到達するための手段であって目的ではありません。これを目的のように誤解する人が多く、したがってヨガそのものを誤解している人が世間には多いので注意して下さい。
 アサンスやプラナヤマは、練習次第でいくらでも上手になります。軽業師のようにもなります。しかしそれに心の悟り、理性の輝き、深高なる学識を伴わなければヨガではありません。ヨガとは神人合一の意味ですから、人格が神の位置まで高まったときはじめてヨガといいうるのです。

シンプルなんだけど、「身体の働きを正常化すると、心の働きもまた正常化されやすい」。は、メモよねぇ。「働き」ってとこがミソですよ。


<402ページ 質疑応答 胃腸病のなおし方 より>
Q:胃腸が悪いのですが、なおすにはどうしたらよいでしょうか。
A:(一部抜粋)
 方法としてはなるべく食べない、小食の練習をすることです。私が胃腸がじょうぶなのは、食べない練習をしているからです。空腹を楽しむのです。満腹を楽しむか空腹を楽しむか。たいていの人は満腹を楽しもうとしますが、小食で自分の身体をまかなう練習をすることも楽しいものです。
(中略)
 それから姿勢が悪くてもいけません。姿勢が悪いと胃腸にかよっている神経を圧迫します。だから姿勢が悪くても胃腸が悪くなります。心理的に動揺していても胃腸の働きが悪くなります。なぜかというと、どういうような感情になるかによって自律神経へ与える影響が違うからです。ですから感情をととのえなければいけません。
 胃腸が悪いというひとには消極的な人が多く、いつもむだなことばかり考えていることが多いものです。いかなることもどうしたら積極的になるかを考えるようにすべきです。

天風イズム(沖先生に影響を与えた人)がチラリと見えます(笑)。
アメリカじゃ太ってると出世しないっていう理由が「自己管理能力の欠如のあらわれ」とされていたりしますが、それよりも、「消極性のあらわれ」というのが沖先生理論。


沖先生は、言葉をタイトにつめたとき、やさしい日本語ながら、すごい名言が出る。だからどんどん読みたくなっちゃうんですよね。"頭が良いうえに勇気もある" そして、"時代的に、かなりおかしなときがある" というのがたまらない魅力。

ヨガによる人間回復への道〈2〉

ヨガによる人間回復への道〈2〉


沖正弘先生の関連書籍はこちらにまとめてあります。