もう写経は初めてから半年以上になります。今日は写経&読誦、昨日は阿字観を、等々力不動尊でさせていただきました。
等々力不動尊は真言宗智山派の満願寺別院ということもあり、阿字観も高野山での体験と同じように行うことができます。細かい話ですが、真言宗なので、写経会の日の朝9時半から「般若心経」を読誦するときには、冒頭の「仏説」も口に出して言います。このほか、不動明王の真言、大日如来の真言、五大願などを唱えます。マントラ・チャンティングです。
うちの道場ではマントラのチャンティングをしないため、よその体験ヨガレッスンやワークショップなどで何度かやらせていただいたのですが、あんまり慣れないことを独学でやるより、真言のほうがスッとなじみ、続けやすい。会社からの帰り道にも唱えてみたり。別の意味で魔よけにもなりそうです(笑)。
今週末の等々力不動尊は、4月8日の花まつり(仏陀さんのお誕生日)の後で、飾りつけもそのまま。今日の読誦のまえに、素敵な「花の詩」のお話をききました。その詞をうたっていただいたあとの解説の記憶ですが
花は日が照れば開き、人々には香りを、虫には蜜をもあるがままに与える
花は、「きれいだ」といわれようと思って咲いているわけではなく、あるがまま
風が吹けばその流れに、あるがままの身を任せて散ってゆく
その後で、「なので、この不動尊では散った桜の花びらも、そのまま。あるがままにしております」と。
隣にいたヨガ友のピロエちゃんと一緒に、「なんか今日はいい話きいちゃったね」と。うちこは、「ハタヨガの真髄」に書いてあった「月は、半月間は人間が眠りについた後に昇るのであるから、その間は、人は月の美しさをほめたたえはしないが、人がほめるほめないにかかわらず、月は自らの道からはずれはしない。」というくだりを思い出しながら聞いていました。
あるがままに咲く、等々力渓谷のお花
花まつりの飾りつけ
オイッス! と生まれた仏陀像
花まつりの仕事を終え、横にいた象さん。
うちこは渓谷からお不動さんへたどり着く、この階段からの眺めが好きです。京都の神護寺を思い出します。
昨日の阿字観ではその瞑想方法だけでなく、三礼、真言、さまざまな印の結び方まで、丁寧にご指導いただきました。
めぐこ、ピロエちゃん、オノ先生と4人で参加したのですが、ほかの人はとにかく足首が痛そうでした。「すみません、われわれ結跏趺坐だけは玄人なんです」と、言うこともできず・・・。そしてその耐久時間を熟知したヨガ部の女子は、初参加ながら、ほどよいタイミングで半跏坐に切り替えてました。手間のかからないお嬢さんたちです。
めぐこは「想像以上に良かった」と、その後も一日中語っていました。そして、「どうしても途中から、航空写真になっちゃうの・・・」と。みんなはじめはGoogle Earthなんですね。
<その後のお茶でも、阿字観談義は続き・・・>
めぐこ:ねえねえ、あの月の球体は、うちこの場合どんな感じ? わたしは、ふわふわとしたシャボン玉のような感じなのだけど。
うちこ:ガチャガチャのおもちゃのケースが近いイメージ。わりとしっかりしてる。その中のおもちゃが、自分。
めぐこ:そっちのほうが、自分が中に居られるね!
お互いの性格が出ているなぁと思いつつ、その会話を自由が丘のカフェでしている状況というのも変な感じがしました。ちなみにうちこはお風呂をイメージしたり、宇宙飛行士的な感じになったり、そのときの感じによってかわります。そのときは、「ガチャガチャのおもちゃ」でした。
▼ここからは、「写経」のはなしです。
今日の写経は先月よりも大賑わい。昨日に引き続きピロエちゃんと、今月は会社仲間のコーイチ兄さんも一緒。
うちこの今日のテーマは「早書き」。空海さんがめちゃくちゃ早書きの人だったと本で読んだので、思いっきり影響されて、30分で終わりました。とはいえ、それなりにちゃんと書いたつもりです。30分くらいというのは、以下の点でよいです。
・書いている自分の躍動感が5割増
・そのノリはまるでダンスのよう
・墨をする頻度が減り、結果、ちょっぴりエコ
・「瞬発的な小さな決断力」が養われる気がする
・ひとり反省会の時間がたっぷりとれる
そして写経の後、ピロエちゃんとコーイチ兄さんの三人で「今日の写経談義」。これが毎回楽しい。コーイチ兄さんはスポーツのように写経をするので、いつも「あそこでしくじった。次はうまくやるぞ」といったことを言っているのですが、今回は・・・、
どうしてもここが、「エロ」に見えてしょうがない。俺の煩悩がーーー! と。
有る、エロ、心。兄さんそのまんまじゃないですか。
写経は人それぞれに、なにかの気づきを得る不思議なものみたいです。うちこは兄さんのこの話と、あの象さんの目が結びついちゃって、帰りに思い出し笑いをしました。