うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

こころ・と・からだ 五木寛之 著

近所に住むユキちゃんちの本棚から拝借してきました。五木先生は、うちこの中では完全にヨギの棚に分類される作家名。身体と心についてのことが「ずいぶんと修行を積まれたのですね」と言わんばかりの内観ぷりで、しかもダンディなんですよ文章が!
あえて失礼なたとえをしてみますと(笑)、天風先生の文体が「大沢親分と張本がカツカツいってる、ちょっとイラッとくる休日の朝のトーク」であるならば、五木先生の文体は「筑紫哲也さんと鳥越俊太郎さんのトーク」のようであります。
老いと身体と心のこと、積極性とか、無理しない論などは、「うっとうしい」感じの文章になりがちです。お医者さんが書いた本になると、もう「自慢と説教が紙一重かと思いきや、もしやダブルですかこれ」みたいな文章もあります。そんななか、なんとも抑制のきいたダンディな日本語。うちこが大学生の頃に「五木寛之の夜」(深夜ラジオだぞ!)でそのお声を聞いていたせいもあるのですがね。

そんなこといってないで、メモしたかった箇所をいつものように紹介します。

<17ページ 告白的まえがき より>
どうして短命なはずの自分がこんなにながいあいだ病院や医療のお世話にならずに生き続けてくることができたのだろうか。たぶん、それは、九十九パーセントの幸運と、一パーセントの心身観によるものだと思われる。この本は、その一パーセントについて書いたものだ。

1%の心身観! すてきです。

<60ページ からだと心のあいだには より>
 人間のからだのなかにも、(自然破壊による地球の状況と)同じような病いが存在しています。その病いを自覚して、それをどれだけコントロールして善に転化させていくか。そのことこそ質の高い人間的な生き方なんじゃないかと、最近ぼくは考えるようになってきました。
 この「からだの声をきく」ということは、五十代にさしかかって何とか理解できるようになってきたことです。そして今度は自分の心や頭の考え方を、指先から頭のてっぺんまで全身に伝える方法を、一生懸命にみつけてみようと思っているところです。

うちこなんて、まだまだこれからですなぁ。

<94ページ あきらめる人間 より>
 親鸞の開いた信仰というのは、人間の煩悩を捨てよとは決して教えない他力の思想です。そこがほかの宗派と歴然と違うところでしょう。
 人は煩悩をかかえたままで生きていくのだと、親鸞は言います。煩悩をかかえることによってこそ、仏の光に出会うのだと教える。
 つまり、これはあきらめの宗教と言っていいでしょう。しかし、あきらめきったところから物事が明らかになり、それを究めきったところに、本当の意味での静かな強さというものが生まれてくる。

うちこは小さい頃、「いちご新聞」にまだアンパンマンがモノクロで連載されていた時代にみた、雪の中で遭難した子供を助けるアンパンマンが「ボクを食べてよ」と首をまえにかしげる場面が今でも焼きついています。「あきらめの強さ」について読むとき、いつもなぜかこの場面を思い出します。
またそのアンパンマンが、ちっともおいしそうじゃなくてねぇ。

<110ページ 身を守るために より>
 社会が本当に守らねばならないのは、弱い立場にある人びとです。まともな社会なら特別のハンディキャップのない人びとにまで規制を及ぼし、その安全を守る必要はないのではないでしょうか。それによってスポイルされる生命力のほうがもっと大きな損失かもしれません。
(中略)
いつまでたっても大人になれない日本人、なとと時どき話題になったりもしますが、それは、あまりにも制度が安全を守ろうとする国のひとつの欠陥かもしれない、と思ったりもします。

スポイルという欠陥。「これくらいは学ばないと、この先やっていけないよ」とはっきり言う勇気。勇気なのかわかりませんが、いまそれができる人が本当に少ない。

<216ページ ネガティヴ・シンキング より>
 ぼくの独断的な意見を言わせてもらえば、道教にはたくましいエネルギーがある。だがそのエネルギーは上昇感覚ではなく、あくまでも下降していく生命力なのだ、という点に問題を解く鍵がありそうな気がするのです。
(中略)ぼくの考えでは、ヨーガ系の呼吸法は大地から下半身へ、さらに下半身から上半身へ、そして最後は脳から宇宙へとエネルギーを循環させてゆくアッパーな働きをもつように感じられます。ヨーガといえばいかにも静的なイメージですが、実際にはすさまじいエネルギーを虚空に放電する営みのように受け取れるのです。
 一方、道教の呼吸法は、上から下へ臍下丹田にエネルギーをためる働きを目指すように思われます。つまり溢れるような生命力をどう制御するかにかかっているのです。それに対してヨーガは、人間の小さな生命の火を無限増殖させて宇宙にまで通じる活力を求めているのではないでしょうか。

うちこもヨーガには非常にアッパーなものを感じます。ただそれは「生み出す」アッパーではなく、もともと湿気かけていた無意識のアッパー木炭の在庫が燃えていく感じです。沖先生が言うところの、あまったエネルギーですね。生命の火というととても素敵に感じますが、ごく日常では、「食物から摂取した、事実上そんなに必要ではなかったエネルギー」と思っています。それを燃やし尽くして空にすることで、いいものが入ってきても受け容れられるスペースができる。ヨガをそんなふうにとらえています。
うちこが夜型のヨギだからかもしれませんが。


不安をあおるようなニュースが毎日流れ、実生活にもその余波を感じようと思えば感じる昨今、こんなときは五木先生の本を読んだらいいですよ。年齢を感じさせない、ユニセックスな雰囲気もありながらダンディな感じのする文体というのは、なかなかおいそれと身につくものではないと思いますから、それだけでもいい時間の使い方です。
「脱いだらすごいんです」というのはそこそこ筋力トレーニングが必要ですが、「書いたらすごいんです」は座っててもできるしね。

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★おまけ:五木寛之さんについては過去に読んだ本の「本棚リンク集」を作っておきました。いまのあなたにグッとくる一冊を見つけてください。