うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

福田和也の「文章教室」

これもご近所友達の本棚から借りてきたもの。
夏目漱石三島由紀夫向田邦子村上春樹石原慎太郎、綿谷りさ、江國香織町田康ほか総勢41名の人気小説家、評論家、落語家まで・・・数多くの作品の文章を引用した解説です。
ところどころ、おちゃめな一節があります。もっとぶっちゃけた分析でもよかったのに。

淀川長治氏による「太陽がいっぱい」の解説の

一般の人はただのスリラーと思うでしょうが、違うの。もっと怖い。ホモセクシャルの映画ですよ。私はおませだから、いっぺんに見抜いちゃいました。

をという部分に、なにげに
 「おませ」というのもねぇ。このお年で。
とツッコんでいたり(笑)。


この本、いまどきの書籍店にあわせてか、帯に「ブログをブラッシュアップしたい」という飾りコピーがありますが、ブログ用の文章というのは目的に合わせて七変化すると思うので、やはり「魅力的な文章の参考書」でしょう。ブログ用ってことになると、考えるならば「どこにリーチすべきと思って書いているか」という主軸にあわせた構成が喜ばれる気がします。

今回は、仕事の場面と、この日記を書く中で思うこと対して印象に残った箇所を引用します。この本自体が引用で構成されているのでちょっとややこしいですが、赤文字が著者さんの引用元です。

<122ページ 第一章「読む力」より>
『進化とはなにか』今西綿司 ――― 発想法を学ぶ
(中略)資料をできるだけ多くあつめたほど、その結論がしっかりしている、といえないこともないが、資料と結論との関係をそうゆうように考えるということは、けっきょく結論を資料によって縛るということにほかならない。一+一であるかぎり、どうしても二という回答しかだせないということである。
(中略)もすこし極端ないい方をするならば、資料あつめをしているときから、どこかで理論に飛躍できないものかと、たえず考えているのであって、その見とおしがつきかねるときには、せっかくの資料あつめも、またその背後にひそむ問題意識も、そこであっさりと見切りをつけてしまうことさえ、ないとはいえないのである。

うちこは仕事でいろんな人の企画書を見せていただくのですが、「資料を集めて仕事した気になったところで人に見せる」という恐ろしいプロセスを踏もうとする人がいます。やっぱり普通、展開しないものかとワクワクするものですよね。

<128ページ 第一章「読む力」より>
『考へるヒント』小林秀雄 ――― 飛躍する文体
評論とは ――― 文章を書くとはと広げてもいいのですが ――― 自分がいいと思ったものの価値を、読者に納得できる形で語ることです。私自身、ある作品を評価するとき、あるいは間違っているかもしれないとの不安を抱くことがないとはいえません。もちろんフェアでなければならないから、知識などできるだけ援用しますが、最終的には「自分を信じること」を書くしかありません。信じた主観をぶつけて読者を納得させるしかない。

ヨガについて書く場合、間違いだなんだと言い出したら、ヨガをし続ける限りは死ぬ直前まで自分の発言として書けないよ、ということになってしまいます。なので、うちこは「ヨガ楽しいぞ」というシンプルな気分で書きます。ヨガに1ミリでも興味がある人には「なんだか楽しそうだぞ」と思ってもらえるように、ヨガをしている人には、「アーサナについて難しく考えずに楽しめる」ように、ヨガを過剰に崇高なものと思いたい人には「なにかと比較して表現しようと考えている時点でヨガっぽくないよ」というメッセージが伝わるように。痩せたくて見ている人には、マラソンのほうが痩せるよ、と明言します(笑)。信じた主観をぶつけまくりですね。

福田和也の「文章教室」
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