うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

嫁をやめる日 垣谷美雨 著

前半は未亡人が主人公のサスペンスドラマ。未亡人という言葉の由来を知らなかったので驚きました。
インドのサティーのように、中国の儒教文化の中にも夫が死んだら妻は殉死するべきだという考えがあったんですね。
昔はそこに知恵が生まれ、女性が未亡人であると自称することで、『恥ずかしながら生きながらえさせてもらっております』という意味となり、この言葉が後追い自殺をしなくて済む免罪符の役割を果たし、生き延びることができる。
インドのサティーのように妻が後追い自殺をすることが徳を積む祈りになるほどのエグさはないから、ひとまず自殺の義務は回避できる。未亡人。


で、そんな由来の言葉が残っている現代の日本はどうか。
東京と地方では、これまたずいぶん状況が違う。この小説の舞台は現代の長崎です。後半は社会システムの勉強になる展開で、法律を知ってためになる人生ドラマに変わっていきます。

 

この本は久しぶりに会った母がおもしろかったと言っていたので読みました。ちょうどラジオで頻繁にその宣伝を耳にしていた映画『老後の資金がありません』の原作と同じ著者で、読んでみたら法律やセキュリティの勉強になる感じ。


人付き合いって、どこまでがプライバシーに踏み込み過ぎなのかが地域や世代によって違うし、コンプライアンスなんて事実上存在しないような組織もたくさんある。
わたしから見ると、この小説の世界では主人公の友人のバランス感覚がいちばん現実的で、その人が「つぶされてる人間なんて、この世に掃いて捨てるほどいる。この私がそうだもの」という場面が最高にリアルなんだけど、その人がいちばん、暗くならないための知恵を持っている。
知恵って、苦しいからこそ生まれてくるものだもんね。
こっそり支え合う仲間がいるって、だいじね。こっそりね。

 


この本は文庫化の際に改題されて『夫の墓には入りません』というタイトルになったようですが、それじゃあまるでお寺でよく聞く、僧侶がご婦人たちの笑いを取りにいく説法の鉄板ネタのよう。苗字か書いてあると墓に入るのが嫌になるから「南無阿弥陀仏」と書いてあるのです、というアレね。
そのほうが売れるからだと思うのだけど、『嫁をやめる日』のほうが主人公の世代の感覚に近く、よいタイトルだと思います。