少し遠くに住む友人に久しぶりに会いに行ってきました。
友人宅にはメンバーが増えていて、その人とは昨年に一度オンラインで面識があったけれど、実際にお会いするのは初めて。三人で数日を過ごしてきました。
そのなかで何度か、話したいことが次から次へと湧いてくる時間がありました。真空保存しておきたくなるような、おもしろエキスがぎゅっと詰まったトピックがいくつも浮き上がり、運転を交代しながら続ける長距離ドライブ旅行のような時間を楽しみました。
そのなかで、とても印象に残るフレーズがありました。
旅行の話になって、わたしがこんな話をした時のことです。
タイ旅行中にカフェで日本人から話しかけられて、インド旅行の経験を聞いたことがあった。その間ずっと「そうなんですか」「へぇ」と相槌を打つ隙間しかなく、「わたしも行ったことあるんですよ、インド」という情報を混ぜてもスルーされ、一方的に聞かされた。
ひととおり聞いて「では、このへんで」とクロージングしたけれど、こういうとき、わたしと一緒にいる人は「そうやって相槌を打つから相手が話すのをやめない」とイライラすることになる。
でもわたしは、武勇伝をやめられない人のそれをオナラのようなものと捉えているから、途中で封じられないものと思っている。食物繊維の多いものを食べたらたくさんオナラが出るのと同じで、得た知識や経験談を披露したくて、ちょっと出しはじめたら思いのほか溜まってて止まらなくなっちゃった、という感じなんじゃないかと思う。
という話をしました。
そうしたら、そこから新メンバーのかたがおもしろい方向へハンドルをきってくれました。
逆もあるよね。自分はそっちのほうがきつい。
という話をしてくれました。
その話がすごくおもしろくて。
それは、一方的に自分のことを聞き出されるほうがきついと感じるという話でした。そのとき使われたフレーズが「抜かれる」でした。
情報を抜かれる
わたしはウェブの仕事をしているので、この感じだとしっくりきます。それをリアルの対人関係で使うのが新鮮でした。ごっそり抜かれてぐったり疲れる感じがHさんの口調からありありと伝わってきて、心のなかで起こる感覚について選ぶ言葉のおもしろさを感じました。
わたしは心の内側で起こったことを話すとき、自分の表現力では足りないと思うことがよくあります。なので、他の人の言葉からインスピレーションを得ると、頭の中に電球が灯ります。
その間、隣にいた友人は「食物繊維とオナラ・・・うんうん確かに!」と、止めるのが無理な原理の喩えのほうに何度もうなずいていました。
めくるめく連鎖して言葉が湧いてくる会話には、セラピー効果がありますね。
昭和の花柄の鍋で煮込まれたカレーとともに。