なるべくネットスラングをタイトルに使わないようにしています。
だけど今日は特別。最初に説明します。
「社畜乙~」
というのは、
「会社の中で、組織の中で家畜のように働く、自由に生きられないあなた。おつかれさま~」(揶揄)
の略で、10年以上前のネットスラングです。
先日この本の感想で使いました。
上記のなかで、春や秋の連休にインドを旅したときのことをちょこっと書きました。
インド旅行中に1週間ほどの滞在で帰るわたしに向けられる他の日本人滞在者の言葉から、当時は被害妄想をしていたと書きました。
そうしたら、それを読んだ友人が「あながち被害妄想じゃないと思う」とメッセージをくれました。
* * *
それをきっかけに、わたしがどんな場面でそう思ったかを話しました。
そこから、紐付けのパターンが見えました。
渡航費・移動費の話と絡まっていく
同じ場所で旅行者たちが知り合って仲良くなって、食事やお茶をしたときに「え? そんなにすぐ帰るの?」と、数名から言われました。
旅の雑談は飛行機や移動の話をすることが多いので、わたしの中でそれを紐づけて「高い移動費をかけてここまで来てきて、すぐに帰るなんて、社畜乙~」と言われているように感じました。
わたしにとって当時の連続休みは、業界の働き方が変わってきて人脈も増えて仕事も頼みやすくなって、いい時代になったと思いながらの休暇でした。
それがいざインドへ来てみたら、長い癒やしの旅をしている人が滞在する場所では、自分が「まだそっち側にいる気の毒な人」という扱いなのです。
なにこれと思いました。
被害妄想か加害我慢かの二択で葛藤していた
わたしひとりの中では、比較対象が5日くらいの休みだったので、交通費はむしろ得したくらいの気持ちでいました。
「移動費を高いと感じていなかった」「帰ったら仕事があるほうが安心」という、わたしなりにバランスのとれた現実があったのだけど、黙っていました。
インドの人が醸し出す「悠久の時間」は納得できるのに、日本人同士だと腹が立つのは、同族嫌悪なの? このアウェイ感は独特だな、と思っていました。
現実的なことは言わないように、その世界観に水を差すようなことは言わないようにしているのに。という気持ちで葛藤していました。
この、「のに」が、苦しみの原因なのでした。
両方経験した友人から、「あながち妄想ではない」が紐解かれた
わたしに声をかけてくれた友人は、どちらの立場も経験していて、わたしのブログでのコメント(本の感想)が引っかかったそうです。
「実際に、長期滞在中に会社勤めの短日旅行者に対して社畜乙って思ったことがあったよ」と、そのときのことを話してくれました。
そして話しながら同時にわたしが思ったのは、それでもわたしは自分と違う選択・生き方をしている人と関わりたくて、だからアウェイな場所にも入っていくし、それで色々な感情が起こるのは当然だということ。
わかっていてやっていることなのに、全く違う話の流れで思い出す。
今回は二人目の子供が産まれて会社員を辞め主婦になった韓国人女性の本を読んで、その感覚が解凍されました。
人間の自尊心が記憶と紐づくときの粘着力って、ものすごくクリエイティブなのよね。それを執念と言ったりもするのだけれど、善悪を切り離すと、ただの精神の化学反応のようにも感じられて、いつも不思議だなと思います。
* * *
家庭のある人が「帰る場所があるから頑張れる」と言ったり、子供のいる人が「守るものがあるから頑張れる」と言ったりするのと同じようにサラッと自分のことを言えたらよかったのか、よくなかったのか。
そんな流れになったときに、友人が言いました。
うちこちゃんの、その場面でさ
アンミカだったらどう返すんだろ。
そう。
欲しいのは、それ!
それなのでした。
昔の話よ。(これは2009年のビートルズ・アシュラム)