うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

疎遠になっている知人の目を内在化させると、発信しずらくなるという話

先日、友人がブログや Instagram を更新しなくなった理由を話してくれて、それについて思うことがありました。

こんな気持ちを教えてくれました。

 

 

 

  あの時のあの人、あの時のあの人・・・、と

  疎遠になっている人の顔が浮かんで

  その人が自分の情報を見るのだろうと思うと

  更新する気がしぼんでしまう。

 

 

 

こういう気持ちを、わたしはなかなか聞けない環境にいます。

「やるならエイヤッとやるもんだ」というマッチョな割り切りをする人の多い業界にいたので、マインドセットが麻痺しています。

 

 

この友人はこういうふうに考えるんだな、なるほどな、と思いました。

自分がアップしたものを見に来たりSNSでフォローされている知人の目を内在化させて考える、そういう行為を、わたしはいまは日本人らしさと捉えるようになっています。

タイで知り合った人たちの Instagram の使い方を見て、その反動で「日本人らしい」と思うようになりました。

 

 

 

同じような会話を、昔もこの友人としたことがありました。

当時のわたしは30代前半で、「インターネットはそういうものなのよっ!」くらいの勢いでした。あのときはこの友人の気持ちをちゃんと聴けていなかったな、と思いました。

 

 

 

  根本的な思考の癖みたいなものって、

  あんまり変わらないもの。

 

 

 

個性やその人らしさって、思考の癖のことを指すんだなと思うようになりました。

それが環境の影響なのか、もっと根っこの部分にある思考の性質の向かいやすさなのか、その配分はわからないのだけど。

同じ考え方の傾向を持ち続けているのは、友人から見てわたしもそう。

お互いに直す必要があるとかないとか考えないので、きっとまたいつか同じような話をして、こうやって思い出すのでしょう。

 

 

 

意味があるとかないとか、ためになるとかならないとか、そういうことに関係なく誰かと話すことの価値は、こういうところにあるんですよね。

 

 

 

自分のことは、ひとりで考えてもぼんやりとしかわかりません。

考えはじめた瞬間から脳内で言語を使っているので虚飾も入ります。

気質って、自分ひとりでは言語化できないもの。

他人に協力してもらうことで知り得るものなんだと思います。

 

 

 

虚飾を排除して話せる力をつけていきたい。

そんなことを思うこの頃です。