うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

桜の森の満開の下 坂口安吾 著

一人の男が美しいものに狂わされる話です。男がなぜ美しさと幸福がイコールでないのかに悩む、とっても大人向けの物語。衰えていくことを魂が散っていくと感じるほど豊かな感覚を持った男が、それを桜の様子と重ねる描写はうっとりするほど不気味。わたしも夜桜を子どもの頃から「なんか怖い」と感じてきたので、序盤からおもしろくて釘付けになりました。

こんな風に、桜を少し怖がる人のほのかな疑問が少しずつ紐解かれていくのですが、途中から心理サスペンスめいてきて、読むのをやめられなくなります。
美しいものは当たり前に自然の中にあるものと思っていた男は、どうやら「美しい」にも別の種類のものがあることを知ります。

女は櫛だの笄だの簪だの紅だのを大事にしました。彼が泥の手や山の獣の血にぬれた手でかすかに着物にふれただけでも女は彼を叱りました。まるで着物が女のいのちであるように、そしてそれをまもることが自分のつとめであるように、身の廻りを清潔にさせ、家の手入れを命じます。その着物は一枚の小袖と細紐だけでは事足りず、何枚かの着物といくつもの紐と、そしてその紐は妙な形にむすばれ不必要に垂れ流されて、色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されて行くのでした。男は目を見はりました。そして嘆声をもらしました。彼は納得させられたのです。かくして一つの美が成りたち、その美に彼が満たされている、それは疑る余地がない、個としては意味をもたない不完全かつ不可解な断片が集まることによって一つの物を完成する、その物を分解すれば無意味なる断片に帰する、それを彼は彼らしく一つの妙なる魔術として納得させられたのでした。

あっという間にその理解のプロセスを説明しきってしまう文章力。坂口安吾のスゴ腕っぷりが光ります。

 

 

 この男は、ハイジだ。

 

 

この男は、自然の中で生きて生きた人。
人間の心の無限の空虚感を埋めるものについて、この人は美しさの新定義を得たのち、あらためて深く考えます。無限の空虚を物質的に埋めていく生き方について、己に問います。この問いのありようは、まさにアルプスの少女ハイジ
男はこんなことを言います。

山はいいなあ。走ってみたくなるじゃないか。都ではそんなことはなかったからな。

ハイジがフランクフルトから帰って来たぞ! わたしはここで、それをひそかに待っていたおじいさんのような気持ちになりました。このときの男の心は、都会で軽くうつ病になってアルムの山へ戻って来たハイジのようです。


この物語は大人向けなので、男に元々七人妻がいて八人目の女との恋の物語となっていることなどは、あなたも大人でしょうから大目に見てください。

 

桜の森の満開の下

桜の森の満開の下