うちこのヨガ日記

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起業の天才!― 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男 大西康之 著

これまでわたしが働いてきた中で感じた様々なことが全部繋がるように書かれていて、夢中になって読みました。リアルタイムでニュースになった出来事をなんとなく覚えていたのは第3部以降だけど、第1部からおもしろい。自分がリクルートで働いていたような気すらしてくる臨場感。

 

リクルートの江副氏が作ったマインドはタンポポの綿毛が飛ぶように他の業界へも広がったと第3部に書いてあったけれど、本当にその通りだなと感じます。ウェブメディアに関わる仕事をしたことのある人は、このマインドをいつの間にかどこかで注入されているんじゃないかな。
適正だのスキルだの好きだ苦手だという前に、その仕事に執着できるかどうか。その関係性を燃やすのは「時代」の力なのかもしれない。

 

わたしが覚えている最近のリクルートのニュースは、2年前に「リクナビ」が企業に学生の内定辞退率を情報として渡していて問題になった件だけど、この体質は昔からだということもこの本を読むとよくわかります。
それでも、元々リクルートの始まりは学生のため。当時コネ就職からの解放というのはものすごく現実的に夢のある変化で、この本では「情報利権の破壊」と書かれています。
この本では同じようなことが第1部と第2部に書かれているのですが、これがわざわざ繰り返し書かれるのがいい。すごくいい。
そのニュアンスが微妙に変わっていくところに社会状況の変化が見えて、20年やそこらじゃ変わらない日本の利権保持者のしぶとさが伺えます。

 会社をより大きくするため、江副はパッシーナで日本のエスタブリッシュメントとコネを作ろうとした。それがリクルートの理念と相容れないことに、考えが及ばなかったのだろうか。
 『リクルートブック』は親は教授のコネがない学生が大企業に入るきっかけを作った。『就職情報』と『とらばーゆ』は、後ろ暗いイメージがあった「転職」を当たり前のものにした。『住宅情報』は一般の消費者には知ることのできなかった不動産情報を誰でも手に入れられるようにした。情報誌ビジネスの理念は、既得権者が独占していた情報をオープンにする「情報の民主化」にある。江副は閉ざされた情報を人々に解放する改革者だった。
 ところが皮肉なことに、情報誌で成功を収めた江副は、より成功するためにエスタブリッシュメントとの距離を縮め、自ら既得権者側の人間になろうとしていた。
(第1部 1960 秘密の和室 より)

 

 産業主義と戦う江副の姿を見ていた伊庭野は言う。
「江副さんがやろうとしていたのは情報利権の破壊でした」
リクルートブック』は、優秀な学生を教授のコネで囲い込んで独占していた大企業の利権を破壊した。『住宅情報』は、新聞社が独占していた不動産広告の利権と、新聞やテレビの限られた広告枠を押さえ込む電通など広告代理店の利権を打ち砕いた。
 利権を破壊されたエスタブリッシュメントの中には、リクルート、そして江副に対する怨念が澱のように溜まっていった。
 エスタブリッシュメントが情報利権を謳歌していた昭和の終わり。その利権を破壊し始めた江副浩正は、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイのように異端審問にかけられることになる。
(第2部 1984 利権破壊ビジネス より)

ここから第3部に入っていくのですが、終盤のダイエー中内会長とのエピソードは涙なしには読めません。

 


第3部は検察とリクルート社員の様子が綴られますが、ここでも容易に目に浮かぶような光景が展開されていました。
検察から会社の組織図と職務権限表の提出を求められてもピンとこず、「やっぱりありません」と答える社員に「お前、ありませんでしたで済むと思っているのか!」と検事が激昂します。

 たえず新規事業が立ち上がり、激しい細胞分裂を繰り返す育ち盛りのリクルートでは、収益責任と人事権を持つ「現場の経営者」であるチームリーダーが頻繁に新しいプロジェクトを立ち上げ、必要な人員を採用したり他のチームから引き抜いたりする。仕事の中身も担当者も3カ月に一度のペースでコロコロ変わるので、組織図や職務権限表を作りたくても作れないのだ。あるのは電話の内線表くらいのものだ。
 だが役所文化に染まった検事に、ベンチャーの内部事情を分かれと言うほうが無理である。
(第3部 1989 昭和の終焉・平成の夜明け  検察 VS. リクルート社員 より)

リクルートの種を撒かれた会社には、名刺を作ってもすぐに組織名やチーム名が変わるのに、無駄だよな……と思って働いている人が多いと思う。


検事から38回取り調べを受けた人(福田氏)のエピソードも書かれ方がおもしろくて、笑ってはいけないのだろうけど笑ってしまう。小説のような読みやすさです。
以下は、取り調べで未公開株を配った時の資料を出せと言われている場面。

 「ないものはない」と福田が頑張ると、今度は壁に向かって立たされた。壁ギリギリのところに長時間立っていると平衡感覚がなくなり、頭がボーッとしてくる。身に覚えのないことを「やったと言え」と言う理不尽な尋問が延々と続く。そのうち、福田は検事たちの思考パターンを理解した。
 (自分たちで仮説を立てて、そこに都合のいいエビデンスをはめ込んで裁判官にプレゼンする。俺たちの企画書とよく似ている)
 企画を通すときにも「ストーリー」は重要だ。仮説を立て、エビデンスを探し、ストーリーを組み立てる。仮説が面白くエビデンスがしっかりした企画書はクライアントを納得させる。リクルートとの違いは、特捜部ではエビデンスの重要性が低いところだ。福田は自分が薄っぺらな塀の上を歩いていて、エビデンスがなくても検事の胸三寸で「塀の向こう側」に落ちてしまうのではないかという不安に苛まれた。
(第3部 1989 昭和の終焉・平成の夜明け  特殊部隊 より)

一気にその世界へ連れていかれます。
時代的に自分も記憶も含めてついていけたのは終盤だけでしたが、それでもわたしはまだ、JR=国鉄、NTT=電電公社であったことくらいは知っている世代です。
なのでこの本は昭和がどういう時代であったのかをあらためて社会人として見直し、自分も参加した平成を学び直し、現在を考えるのによい読書時間でした。
キヨスクは1932年に国鉄の殉職者の妻に働き口を提供するために設立されたものだとか、そういう背景も学べたりして。


リクルートは日本をずいぶん透明にしてくれました。それまでは不透明どころか、やる気も能力も燃やす機会のない若者がたくさんいたのです。就職氷河期世代はこの流れがなければ、精神的に疲弊した人が今よりもうんと多かったはず。
あのサービスもこのサービスも、リクルートから生まれています。エイビーロードが1984年からあったことにも驚きました。巻末の年表を見ながら、こんな旅のプランがあるのかとワクワクした時のことを思い出したりしてね。

 

そして何よりも知ることができてよかったのは、アメリカのエンジェル投資家の存在のあり方と助言の性質。ただポテンシャルのある事業や意義のあることに資産を使おうとするだけなく、そこに助言するのか、という「そこ」を読めたのがよかった。
日本ではかなり踏み込みすぎと思われそうな域だけど、人脈お友達倶楽部に陥ることのリスクの大きさをオリンピックの開会式や閉会式のニュースでまさに感じていた時だったので、口を挟む人の存在意義をより強く感じました。


この本は「だから日本は出遅れた」というトーンで書かれているけれど、わたしはちょっと違うところに意識が向いた状態で読みました。昨年からのパンデミック以降、日本ってこういう国だったんだということをあらためて知る機会が増え、現実を認識した上で希望を持って考えなければいけないことが多いと感じていたので。
リクルートの歴史とともに時代が共有してきたマインドやエピソードを追いながら、その軸を借りて、いろいろなことを思い出したり考えたり。そういう読書をしました。