この戯曲をきっかけにロボットという言葉が世界中に広まったという作品を読みました。
R.U.R. (ROSSUM'S UNIVERSAL ROBOTS/ロッサム世界ロボット製作所)のお話です。
ズシンとくるのに超絶ポップで、その軽妙さがたまりません。
何に感動するって、不気味で血なまぐさい話なのに性根まで悪魔的な存在がひとりもおらず、それぞれが愛らしいところです。
いまで言ったらメンタルが壊れちゃったように見える人(ロボットなんだけど)までもが、胸の奥がギュッとなるような崩れ方をしていて、人間という生物がいかに精妙に創られているのかを思い知らされます。
わたしはこの状況に置かれた女性たちの描かれ方にも唸りました。
エリートおじさんしかいない組織の中で若くて美しい女性というだけでチヤホヤされ、脳みそは必要とされず、結婚後10年経っても子を持つことのない社会の中で「少子化は天罰か」と考え出す。その内面の語りを女性に任せているところが絶妙です。
そこには産む機械にすらなれない苦しみが描かれているのだけど、「労働」というテーマが太くあるのでブレずに話が進んでいきます。
生殖倫理にがっつり踏み込みながら、コントを見ているかのようなテンポでどんどん読まされます。
この世から搾取や貧困をなくしたくてロボットを量産したのに・・・、という中心人物が放つ「人間以上に人間を嫌っているものなんてない」「人類のためにこそ、約束は守るべきだ」という二つのセリフは、人間を信じるという行為がいかに心に負担を強いるものであるか、それを学んできた彼の経験を表現しています。
このほかにも、痛みや疲労を感じる機能の重要性、小さな単位で争わせておくことで全体の秩序にまで滅びを侵食させない戦略、圧倒的な全能感を求めるところまで追い詰められてしまう頭脳、そして信仰の力。
短い話の中にこれだけの要素を綿密に編み込むことができたのは、配役と設定のおもしろさによるもので、読みながらわたしの脳内で動いて話すロボットたちが、最初の頃は『スター・ウォーズ』のC3POのような存在だったのに、いつの間にかナマナマしく野生的な存在に変わり、後半の場面では、映画『猿の惑星』が連想されていました。
(品のいい『ターミネーター』みたいな感じでもある)
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登場人物の一人がつぶやく「神様、私を疲れさして下さいまして、ありがとうございます」というセリフはすごくジーンとくるし、宮沢賢治的な読み方がスタンダードなのかもしれないけれど、わたしの中でこの物語はやっぱり『エクストリーム・逆おしん』。
キリスト教の倫理観では(受胎の捉えかたが違う世界では)、おしんのお母さんが雪の中で川へ入って行く時に思ったようなことは、理解がむずかしいはずだから。
二つの訳で読んでみて
結末まで読むと確認のために始めから読み直したくなる話で、再読をはじめた途中で青空文庫に別バージョンの日本語訳があるのを見つけ、同じ物語を二つの別の訳で読みました。
後者は青空文庫のKindleダウンロードにはなかったのですが、Webページで読むことができました。
青空文庫版(上記リンクのもの)は幕のアナウンスやト書きがわかりやすく、キリスト教の聖書の要素がミニマムに削られているので理解もしやすいです。
ある重要な登場人物の役職名が岩波版では「建築士」だったのが「大工」となっていることで、わたしは宮沢賢治的なメッセージ性が増す印象を受けました。
以下の岩波文庫版には舞台の俳優それぞれの写真があり、コミカルでお洒落です。
(両方読むと理解の楽しみが増します)