昨日は大晦日で、今日は元旦。みなさま新年あけましておめでとうございます。
明けない年はない、明けない朝はないとわかってはいても、やっぱり明けてよかったと、今日はそんな気分で元旦を過ごしました。元旦に日本にいるのは久しぶりです。
昨日わたしは朝早くからファミレスへ行って、1週分単位で見開きになっている2020年の手帳を全ページ見直し、ああこのときはこんなことがあった、こんなことを考えていたという振り返りをしました。こんなことをしたのは初めてです。
そのなかで、自分がずっと考えてきたことを一歩進めるテーマがいくつか浮き上がりました。今年は昨年以上にそれを深め、この先しばらくきびしい時代が続いたとしても、あの時期の葛藤によってこういう人間性が身に着いたと性善説的に振り返れるように時間を重ねていきたいと思う年の瀬モーニングでした。
昨年は2月から3月にかけての転職のあれこれにはじまり、その後もさまざまな局面でその都度対応し、適応し、工夫を重ねて一年を過ごしました。その変化と緊張は2021年も地続き。それがわかっているからこそ、狂わずに乗り切っていきたいし、そのために整理した意識のはたらきも、ここはヨガのブログなのでヨガの視点でなんとか言語化していきたいと考えています。
昨年は、自分も他人も疑うことが身の安全と直結する、自分のテリトリーを守っていくことが得意な人ほど適応しやすい世の中だったように思います。「安全・安心」を強く信仰する人ほど判断に迷いが少なくいられたかもしれません。わたしの場合は「安心・安全」よりも大切にしたいことの存在に気づかされる一年で、意識の面では苦労をしたように思います。
そして、ここ数年間自分の中で重大テーマだと思ってきた「自己正当化の思考」に向き合う機会も毎日のように得ました。心の中で、小さなわたしがこんなことを言いたそうなときがその瞬間です。
わたし、悪くないもん!
この、「もん!」のエネルギーは、多くの場合「でも」「だって」という言葉として登場します。この自己正当化の思考をどれだけ自分の中でノー・ジャッジで抱き込めるかが、しんどい局面に向き合う精神力をつくってくれる。
3月・4月頃に、新型ウイルスに感染した有名人の多くが「お詫び」のフレーズを表に出していて、「わたし、悪いの?!」という自己断罪思考に多くの時間を費したのだろうな…、そしてこの作法を一般人も真似しなければいけないムードになったりするのかな、と思いながら見てきました。
この苦しみは天災でもなく災害でもない災い。その責め苦を早く終わらせるために「わたしが悪い」ということにしてお詫びしてその思考の時間から抜け出したい、そういう当たり前のサバイバル反応だったのではないかと思います。
悪くないもん!の「もん!」は自尊心の化身。だからこそ、「もん!」に変わる適切な表現がその都度必要で、そこには思考が必要で、多くの人が個々人でその思考を済ませたあとにようやく「お詫び」というものが必要なくなる。
そういう世界になっていくにはまだ時間がかかりそうだけど、わたしはこういう葛藤について例年以上に身近な人とたくさん話をして、理解を深めることができたように思います。
わたしは昨年の状況の理解を無理にプラスに変える必要はないと思っています。人間のやさしさも残酷さも、もともとあったものが強く広い刺激で顕在化した。まずはこれを受け止める。
そして、生き物が共存していることにこれまで以上に目を向ける。わかっていることは「彼ら(COVID-19)は伝搬能力に優れていて、転変もする」ということ。シンプルに捉える。
人間の意識だって、伝搬能力に優れていて、転変もします。よいエネルギーを共有して、よい一年にしたいです。これがわたしの意思です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
深刻になりすぎずにいきましょう。いい年にしましょー☆