うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

生きるとか死ぬとか父親とか ジェーン・スー著

最後の最後の最後までテレサ・テンの歌の題名にもなった漢字二文字を使わずに綴られる父親の別の顔と、遺品から発見される母親の高額な服(未使用)。ラストで紐解かれる家庭内ミステリー。家庭の中での役割を24時間、設定どおりにこなせる人なんてきっとひとりもいない。でも子どもの視点ではそうじゃない。その共同幻想が崩れたら、どうしていいかわからなくなる。だから大人は演じる。謎はだいたい誰かの死をきっかけにフタが開く。

著者の語りは始終抑制が効いていて、なぜかふと「悲劇のヒロインと思われたくない」と二十歳くらいの時に記者会見で語っていた、当時力士と婚約が破談になった現・大女優の印象がよみがえる。小学生の頃に「おしん」が大ブームでありつつ実世間は経済成長でイケイケで、不自由なく社会人になるまで育ててもらった。そういう価値観の板ばさみのなかで子供時代を過ごしてきた人の抑制であるなと思う。


うちの場合はジェーン・スーさんの家庭より借金が一億円少なかったけれど、高度経済成長期に妙に羽振りのいい実家が存在していたことがあって、もちろんいまはもうありません。新しい家にトイレが二つあることに興奮するくだりで「あなたは、わたしか?」と胸がぎゅうとなりました。なんであんなに大きな家を建てたのか、わたしも数年前に父に聞いたことがありました。借金の構成比もよくよく聞いてみると身内からの被害額だけではありませんでした。わたしが持っていた記憶はずっと被害者100%かのような印象だったので、そのとき話を聞いておいてよかった。
悲劇のヒロインづらをして生きることに、小林綾子宮沢りえ世代のわたしは大いに抵抗を持つ。持つのです。そういう世代なのです。


ジェーン・スーさんはご自身の家庭内ミステリーをみずから探偵となって軽快に紐解いていきます。その勇気に感服します。ひとつのキーワードをとてもじょうずに使いながら、その世界に連れて行ってくれます。

 


 ミニ・トランプ

 


それ! それよーーー!!! それやでーーー!!! とわたしの中のミニ・ミーたちが叫ぶ。関西人じゃないのに関西弁のミニ・ミーがでてくる。この文字列を目にした瞬間、わたしのなかの暗い影が地殻変動をはじめました。なにこの喩え。わかりすぎる。
あの世代の父親を持つこの種のアレな問題も、ジェーン・スーさんの手にかかればイヴァンカがぐっと身近に見えてくるのだから、その手腕にうなります。

 

 父とようやく顔を合わせるのは、ゴルフのない休日と決まっていた。会えば必ず「おう、かわいいな。なんか欲しいものはあるか?」とか「お金はいるか?」と尋ねられるのだが、さして物欲のない私はいつも「べつにいらない」と返していた。すると父は大げさにため息をついて「おまえはなにも欲しがらないから、本当につまらない」と機嫌を損ねるのだった。大人になったいまでも、人にものをもらった引き換えに愛嬌をふりまくのが私は下手だ。相手の欲しがる感謝を、過剰に放射することができない。

ここだけ読めばまるで太宰治の「人間失格」の序盤のエピソード。でも大丈夫。この章のタイトルは「ミニ・トランプ」。語り手は時代へのチューニングを忘れない。ここを踏み間違えない冷静さが、人気の理由なんだろうな。ラジオの人生相談を聴いていてもそう感じます。被害者意識で盛ってはいけないところで決して盛らない。この安定感。そしてちゃんと図太く生きる。不義理の総合商社になっても。


この本は連載のまとめというより、私小説的です。その小説風味のなかでひとつだけ、もうここは確実に泣かしにきてるなというところで目の奥が筋肉痛になりました。自身に起こった身体ひとつでは足りない一週間を振り返って「私はとても気に入った」という言葉でしめている一行。なにこの言い方。かっこよすぎる。まるで小説家。

 

「親が実はトランプ的な件」というのは、ここ数年わたしの周囲では同世代間の定番の話題です。接客業をしているお父さんの差別感情お漏らし事故にヒヤヒヤしたり、帰省をして話した内容にうわちゃぁぁぁとなったり、いまはそういうことで気をもむ時代。だからといって怒っても伝わらない。この本でもお父さんから聞く戦争の話が出てくるけれど、どこかそんなふうに割り切らないとやっていけない瞬間を経験してきた世代の人たちが、理解できない他人の思想についてとりあえず知っているラベルを貼ってとエイヤッと片付けようとする、そういう頭の中の泳ぎ方みたいなものを禁ずるのって、実は無理なんじゃないか。


断罪スイッチが入ったらいくらでも打てるマシンガンの引き金を、ジェーン・スーさんは長押ししません。同居人のかたがおっしゃったという「絶対に切れる刀は抜いたほうが負け」はほんとうに名言。わたしは女性がますます社会へ出て行くにあたって大切な教えはこういう兵法や武士道のようなところにあると思っているので、未婚のプロと言いながら適切な場面でこんな助言をくれるパートナーがいるあたりに著者のオバマ性を感じました。

 

生きるとか死ぬとか父親とか

生きるとか死ぬとか父親とか

 

 

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