つい先日、若き日の自分だったら相手の矛盾をあげつらっていただろうな、と思うことがあった。
とてもやさしそうで穏やかな暮らしを推奨するFさんの行為に、職業差別と非サステナビリティを見つけ、突っ込みたい気持ちが立ち上がった。
わたしはこの感情を攻撃性だと思っている。
Fさんの言っていることがわからなくて、ついウェブ検索をしてしまった。
「Fさん 意味がわからない」の文字列で検索したら、ヤフー知恵袋をはじめとするQ&Aサイトのほか、個人のブログで経験を書いている人がいた。
ヤフー知恵袋に質問を書いている人の日付を見たら10年前だった。そこにはルールを解説する回答のほかに、「Fはそういうポリシーでやっているのだから、嫌ならあなたが関わらなければいい」という回答もあった。
FさんはFさんの価値観で世界を作り上げ、その世界を愛する人に応え続けている。
Fさんのなかでは筋が通っていることで、Fさんの世界の運用を考えたら、それでいい。
尊重というのは、こういうことだ。
とてもやさしそうで穏やかな暮らしを推奨するかのようなFさんに対して、「いい人ぶっておきながら」と思う感情は、わたしの中から立ち上がっている。
“とてもやさしそうで穏やかな暮らし” は、あくまでFさんのイメージ戦略で、これはよくよく見ると実にマーケティングがうまい。
しかも、それをプロダクトデザインにまで落とし込んでいる。わたしが生まれる前から市場を生き抜いてきたFさんのトライ&エラーの集大成がそこにある。
そういえば、わたしにとって一番身近なUさんも同じような考え方をしている。
大切にしたい要素を活かすために一般的ではない方法をとったり、完全ではない部分が残る。
* * *
Uさんの名前はうちこさん。
Fさんの名前はフェリシモさん。
先日、はじめてフェリシモの通販で台所に置く小さなスツールを購入したら、忘れた頃に「今月分を発送しました」というメールが届いた。「なになになになに今月分ってなに? もう届いて使っているし、頼んでない」と思って連絡をしたら、一度注文をしたらこちらからストップをかけない限り、同じものが届き続けるのだという。
テトリスのように、スツールが「テンテテテンテテ テンテテテンテテ テンテテテンテン テンテンテン♪」と毎月降りてくるシステムらしい。脳内でコロブチカがループする。
「受け止めきれません。止めて欲しいです」とお願いしたら、フェリシモさんはあっさりテトリスを止めてくれた。
もう一度、わたしの今日のこの文章の冒頭をコピペする。
つい先日、若き日の自分だったら相手の矛盾をあげつらっていただろうな、と思ことがあった。
とてもやさしそうで穏やかな暮らしを推奨するFさんの行為に、職業差別と非サステナビリティを見つけ、突っ込みたい気持ちが立ち上がった。
わたしはこの感情を攻撃性だと思っている。
わたしはこうやって、自分の中身を確認する。
クレーマーと非クレーマーの境界はここにある。
職業差別と非サステナビリティというのは「発送を止めるのが間に合わなかった場合でも、運送会社からの受け取りを拒否してくれればOKです。受け取らなければ請求は発生しません」という応対に対してわたしが想起したこと。
実際はわたしのような認識違いが一定の比率で発生することも含めて、フェリシモさんと運送会社との包括契約の上で処理されているはずだ。
── そう。職業差別という理屈を成り立たせる差別感情を持っているのは、わたし自身。その紐付けを導き出す材料(記憶)も、わたしの中から発生している。
驚きをきっかけに怒りが発動し、記憶の中から攻撃材料を探し出し、物語をこしらえていたのだった。
【「バガヴァッド・ギーター 」をお持ちの方は、ここで第2章63節をお読みください】
フェリシモさんは「商品を通してみなさまにしあわせをお届けします」と言っている。
売り方とは書いていない。そのくらい「商品」と「売り方」をバランスさせるのは至難の技だ。
発送はなんと月に一回。注文したからすぐに届くわけではない。わたしも実際、数週間待った。だけどこれも、よくよく考えるとサステナブルだ。今回のわたしのような解釈違いよる差し戻しがあったとして、それが月に一度に集約されるようになっている。
これは中長期的に顧客だけでなく運送会社とも関係していく、付き合っていく気持ちがあるからこその考えで、一周回ってこのサステナビリティに気がついた。
ものすごく勉強になった。
気になって企業ページを見たら、フェリシモって、あの「はいせんす絵本」の会社!
驚きと怒りを経由したその先に、学びと感動があった。
長く生き残っている企業はすごい。
この黒い肢の小さなスツールを買いました。
常温保存の買い置き野菜とレシピを近くにまとめて置いておきたくて。
詰むところも並べるところもない台所なので、一回で止めてもらいました。
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