空海さんゆかりの地としてリストアップしていたのですが、稲荷神社の総本宮であることを後で知りました。ものすごくポピュラーな観光名所で、修学旅行生がたくさんいました。この神社へ行く前夜、うちこはどうしてもビールがもう一杯飲みたくて、閑散とした道路にポツンとある飲み屋に入りました。飛び込みの客はほとんど来ないというそのお店で2時間近く常連さんたち7人くらいと飲むことになったのですが、「伏見大社」は「醍醐寺」「乙訓寺」の50倍くらい有名なようでした。
「伏見稲荷か。歩くぞぉ」「かなり広いよ」「がんばってな」などと、とにかくそのスケールが地元のみなさんの強い印象のよう。行ってみたら、トレイルコースとしての案内が各所に見られました。にしても、こんなに素敵なトレイルコースはなかなかないですよ。
そもそも、ここへは「空海さんゆかりの地」だっつうんで来たわけです。神社というチョイスは、優先順位的にあまり高くない。「京都タウンマップ」というサイトから引用します。
空海が紀州で修行中に、内に異相を秘めた老翁に出会い、老翁は空海に仏法興隆に協力する事を約束します。その7年後に空海は朝廷から、東寺を下賜されますが、その年の4月にその老翁が2人の女と2人の子供を従えて空海を訪ねてきます。空海は一行を歓待し、東山の一角にある東寺の杣山を利生の地として鎮座させたのが、伏見稲荷大社の起源とされ、この時に老翁が背中に稲束を背負っていたので、「稲荷」の神号が付いたとするものです。
これは、わりときれいな「鎮」話。
もういっこあるんです。「エンサイクロメディア空海」というサイトから引用します。
一層部分の四角の芯柱を本尊(金剛界大日如来)にみたて、それを中心に柱の四面を背に金剛界「四仏」が四方を向いて坐る配置は東寺の五重塔にしてはじめてであった。塔自体が大日如来(金剛界)、つまり「法界体性塔」である。この五重塔の用材を空海は伏見の稲荷山から調達したという。
一説では、この稲荷山の聖域から木材を切り出したため、それがたたって淳和天皇が病気になった。朝廷は官寺である東寺の造営にかかわることであったので、その罪滅ぼしとして従五位の下の官位を伏見稲荷大社に与え、天慶5年(942)に正一位を、応和3年(963)に京の東南の鎮護神と定めたという。
白くも黒くも「ゆかりの地」なわけなんですね。
前置きが長くなりました。
そうそう、京都の電車は
儲かっとるよぉ〜。
いちばん小ぶりのやつで38万円。大きいやつで130万円。
この神社は狛犬ではなく狐ってのが特徴でね
狐なのにバッタのポーズまでしてくれるサービス精神。ありがたや〜。
そうそう、うちこはこういうエロティックな曲線に弱いのだけど
この木を見たときに、一緒にいたくわくまさんが「セクシーな木ですねぇ」と。
同時に同じことを思っていた。
別に男根信仰の神社ではない。自然神リンガのようでもあり、しなやかで強い女性の腰のようでもある。
生命力と芸術はイコールだと思う。
なんて、のん気に見えるかもしれないのですが……
がんばって上まで登るとユニークな神様がいる。これは「眼力」の神様。
京都に住んでいるのに行ったことがないという人がいたら、ぜひ足腰が元気なうちに行ってみてください。