うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ほとんど記憶のない女 リディア・デイヴィス著 岸本佐知子(翻訳)

短い作品は数行しかないのに、読みながらなんとなく日常なんてどうでもよくなっていく。「鼠」というたった1ページの話を読んでいる途中からこの先はきっと柳家喬太郎の「コロッケそば」みたいな世界にちがいないと、思考のリズムでおかしなイメージがわいてくる。おかしな印象が続く話がいっぱい出てくる。なんかちょっと狂ってる。いっしょにネジが外れそう。


絶望的な状況の話も、ああきっと死んでいくときってこんな感じなのだろうという感触が身体を包む。実際じわじわ体温が下がる感じまでしてくる。どれも短い話なのに、余韻が固形化して残る。
いけすの中を泳ぐ魚を選んでいる瞬間に起こる「そんな決定権を持った自分は何者?」という疑問は、ああいう自分に対する冷めた感じって、なんなんだろ。そこだけをゴッソリ抜き出す書きかたは、絵を習い始めた人が自分の左手の手首から先だけを描こうとして時間切れになったのだけど親指の付け根のしわのありようがリアルすぎて残像がこびりつくような、「そ、そこ?」という過集中。

 

そんな異様な短編が飛んでくる51本ノック。起きたまま夢を見ているような文章、瞑想中のような文章、瞑想をさまたげる思考を逐一記録しているかのような文章、モノを擬人化したら物語が動き出して止まらなくなりそうな勢いを実況する文章、怒りながらそれをこの相手に対する最後の怒りにすべく別れの決意に至るまでの経緯をのちに報告できるようにまとめるかのような文章、などなどなどなど。

いま驚きはじめたところなのに次の驚きがくる。ジャミロクワイの「Virtual Insanity」の映像を初めて見て聴いたときのよう。曲がすごくかっこいいけどそれはさておき床が動いてるんですけどー! と、ちょっと無条件にはノせてもらえないまま踊りたくなるあの感じに似たノリと引っ掛かり。わたしはこの作家を柳家喬太郎ジャミロクワイと同じカテゴリに入れました。

ほとんど記憶のない女 (白水Uブックス)

ほとんど記憶のない女 (白水Uブックス)