うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

もう消費すら快楽じゃない彼女へ 田口ランディ 著


行ってみた観光地の駅が思いのほかショボくて、そこへ行く前は着いたらあれこれ食べるものに迷う予定でいたけれど、少ない選択肢の中で決めて入った喫茶店ナポリタン、すごくおいしかったな… と印象に残る。このエッセイを読んでいる最中の感じが、そういう満足感に似ていました。
この本は2002年に出たもので、当時の事件をきっかけに語りだすトピックが多いので昔のことに感じるかと思いきや、今読むことで世間やメディアの「変わらなさ」が浮き彫りになるような、そんな感覚になります。
逆さに吊るされた男」を読んだときもそうでしたが、文字を追っている最中に、このエピソードは本当でも嘘でもいいやという気になってくる。著者と同じ視座になれてしまえば即、妙な安心感で最後まで読んでしまう。
在宅介護に参加したエピソードの以下の個所は、付箋を貼って何度も読み返しました。

「違い」を理解するために自分を痛めつける。それには限界がある。でも「心地よさ」を知ることは苦痛じゃない。それはただ、自分らしくあればいいだけだから。「気持ちいいこと」を知ることは、あなたと私が「同じ喜びをもてる」という可能性につながる。そして、その先に「違い」がある。最初から「違い」を理解しようとすると、「わからない」という迷路に迷い込んでしまうのだ。
(「キモチイイコト」より)

「心地よさ」というのは普遍のプログラムなんですよね。


30歳を過ぎると特に人生の転機も増えて、友人知人がイメージとは違う人生の選択をしたと思うことがあります。そして、自分もそう見えたりすることがあるのでしょう。それぞれのなかにある判断には社会的な理由そっちのけで突き動かされるようなものがあって、そこにはなにも言及できる余地がありません。
それをわかったうえで、相手のことを好きか、その選択によって好きでなくなるか。それでも好きだと思ったときはうれしい再発見。でも自分のコンディション次第で、残念という思いに打ち消されてしまったりもする。
そういううれしさと悲しさの同居や揺れがとてもじょうずに書かれており、最後までいっきに読んでしまいました。