「人間失格」と主人公が同じ名前の小説で、女性と心中をして生き残ってしまった男性の入院生活中のエピソード。
小説を書きながら自分でツッコミ続ける書き方は、なんだかネット社会の文章のスタイルのようでもあり、少し不思議な感じがします。
「人間失格」のあとに読むと、あの人間失格の人・大庭葉蔵がエピソードを切り出して回想しながらラジオでしゃべっているような、そんな体感で入ってきます。なのですごく本音っぽく感じるし、そんなことプロなら言っちゃダメでしょ! と読んでいるこちらが斬りたくなる。斬りたくさせるところがある。
僕はなぜ小説を書くのだらう。新進作家としての榮光がほしいのか。もしくは金がほしいのか。芝居氣を拔きにして答へろ。どつちもほしいと。ほしくてならぬと。ああ、僕はまだしらじらしい嘘を吐いてゐる。このやうな嘘には、ひとはうつかりひつかかる。嘘のうちでも卑劣な嘘だ。僕はなぜ小説を書くのだらう。困つたことを言ひだしたものだ。仕方がない。思はせぶりみたいでいやではあるが、假に一言こたへて置かう。「復讐。」
「兄貴は、まだあれでいいのだ。親爺が。」
言ひかけて口を噤んだ。葉藏はおとなしくしてゐる。僕の身代りになつて、妥協してゐるのである。
この小説は失敗である。なんの飛躍もない、なんの解脱もない。僕はスタイルをあまり氣にしすぎたやうである。そのためにこの小説は下品にさへなつてゐる。
ああ、作家は、おのれのすがたをむき出しにしてはいけない。それは作家の敗北である。美しい感情を以て、人は、惡い文學を作る。僕は三度この言葉を繰りかへす。そして、承認を與へよう。
読者に「作家なら、こうじゃなきゃダメだろ」と思わせるような、義憤を起こさせる書き方。
どこまで計算なのだろう。いやらしいわ。
この本を読んでいたころ、人がたくさん話したりたくさん書いたりするのは復讐のエネルギーだろうと思ったことがあったので、
假に一言こたへて置かう。「復讐。」
と教えてもらえたのは大サービスと思った。
なんというか、こういうことを書いてしまうサービス精神が旺盛すぎると、きっと太宰治のようになるのだろう。気をつけようと思う。
▼Kindle版