うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

狂人日記 魯迅 著/井上紅梅(訳)

10年ほど前に、同時期に知人AさんとBさんが、同じことを言い出して驚いたことがあった。
AさんとBさんは面識がない。だからなんの関連性もない。二人で食事をしているときに、それぞれが、こんな話をしてきた。

 


 「親が集団ストーカーにあってると言い出して」

 


60代の母親がそう言い出したという。二人とも当時は30代。
N=2 の話を一般化して語る気はないし、こういう話は閉じられておくべきこと。当人とわたしの間で交わされた、日々の悩み相談のひとつ。

それが、この魯迅の『狂人日記』を読んだら、記憶がぐわっと解凍され、読みながらそのことを思い出していた。小説の冒頭で「迫害狂」と書かれていた。

 

この他にもいくつか、思い出したことがあった。
先日見ていた選挙特番のラジオで、甘利幹事長が自身の落選運動をされた話をしている時の、あの口調。

 

まだある。

作家の林真理子さんは、9年くらい前にNHKの朝の番組で、自分が若い頃にバッシングを受けていた時に「この人たちはわたしが死ねば満足するのだろうか」と思っていたと話していた。淡々と話していたけれど、まさにこの小説にある、こんな心境を見たのだろうと思う。

何という重みだろう。撥ね返すことも出来ない。彼等の考は、わたしが死ねばいいと思っているのだ。わたしはこの重みが嘘であることを知っているから、押除けると、身体中の汗が出た。

“この重みが嘘であると知っている” というこの一行が、この人は戻ってこられると思える命綱。
こういう一時的な狂いというのは、そんなに珍しいことではない。
それが一時的で済むか済まないかは、“この重みが嘘であると知っている” という感覚がチラとでもあるかないか。そして、それをひとりでも認識できるかどうか。

この小説はその辺りの境界をものすごく緻密に描いていて、心理テストのような機能を持っている。この物語は「この人はそれができた」という設定だから、狂いの疑似体験ができる。なんか文学ってすごい。

 

狂人日記