人はなぜ肉体改造に走るのか、と思うときの、あのメンタル。
あれがしっかり「哀しみ」として書かれていて泣ける。せつないなぁもぅ。読みながら「優雅な肉体が最高の復讐である」という俳優さんの本を思い出しました。
漠然と唐突に他者からの評価を手触りとして得たくなって行動を起こし、孤立する。そういうことってある。子どもの頃からあったなぁ。
あのときあんなことをしたあの人、こんなことをしたあの人、そしてわたし。痛いなぁ、やっちまったなぁ、黒歴史だなぁ。こういう記憶の溶解はあまり気持ちのよいものではない。はずなのに…、笑えるのだからすごい。笑える短編ばかり。
ひとつ、生徒がとてもやさしい先生から「寄り掛かっていいのはここまで」と明確に臨界点を示される話があって、どきどきしました。
人前で怒りをあらわにすることのないアイドルのようなインド人のヨガの先生が、アジャストをしながら練習者に「NO! 思いっきり寄りかかるな」と言ったのを見た、たった一度の静かな衝撃。英語だったけど、そんな感じであったなぁ。
どんな職種でも、成功している人にじわじわ近づいてチャンスをつかみたいと考えている人はいるもの。
そんな人がこの短編のなかのデザイナーの話を読むと、ものすごい追体験ができます。あなたがまだ20代なら、たぶん5年くらい得をします。ほんとうに。
先生はもっと自分の意見に耳を傾けるべきと思いながら先生の記憶にツメ跡を残そうとする行為を繰り返す、そんなセコいマインドが先生からはどう見えているか。この種の怒りを抑えることのむずかしさは同じ立場にならないとわからないことだろうに、まるでその立場になったかのように見せてくれる。
いろいろあるけど、おおむね大丈夫。世のなかは、生あたたかいから大丈夫。
といわれたような気分になる物語ばかり。ものすごい余韻。
ものすごい余韻だよぉー。
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