うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨガをはじめてから丸くなりました、という感じはしないけど

よく効果や効用の面でこういうことを言う人がいますが、わたしはまったくそういう感じがありません。
日々余剰エネルギーを発散できているとは思いますが、丸くなるというのは自分で認識するものじゃないので自分主体に言い換えると「丸く対応できている感じがするか」ということなのですが、気配を消すのはうまくなっても相手の期待どおりのマイルドさが実現できているかというと、マッチング率が上がっているかは確かめようがありません。



丸くなるって、なんでしょう。ずいぶん抽象的です。
丸くない状態は、「エヘン虫」みたいな状態のことでしょうか。「エヘン虫」じゃ、古い?
チェッカーズが歌うところの「ギザギザハート」にしようかしら。
これ、考えてみたらおもしろかったのですが、




 わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか




上記のように思う機会が、減っているかというと…、なんと少しずつ減っている気がします。
「わかってくれ」と思う機会が減ったのか、「わかってくれ」という思いを実現する力がついたのかはわかりませんが、「そんなに俺が悪いのか」は「お前も悪い」がセットになりがちであることをふまえ、いったんそれもリストアップしたうえで説明を尽くそうとするか、あきらめてスルーするのかを考えるようになりました。ひとりで作戦会議ができるようになったというと、わかりやすいでしょうか。そういう「ひとり組織力が、以前よりはついてきた気がします。


「そんなに俺が悪いのか」に「お前も悪い」が混ざってこじれるに展開ならぬよう、自分を弱者に見立てて「お前が悪い!」という子どものような思考になる最悪のパターンへの展開を止め、かといって自分を責めるわけでもなく、同じ境遇の人を探して傷を舐めてもらおうとするでもなく、まるで自分は悟っているかのように一段上から見下ろすでもなく。そういう曖昧な状態に長くいられるようになってきたように思います。
立ち泳ぎのように自分の身体で感じていると、どういうときにどういう理屈で怒りが発動するのか、傾向が見えてきます。それは自分の弱さの色を知る、とてもいやな、つらい時間です。そんなのもっと早く済ませておけよという年齢になって、わたしは今やっとこんなことを考えている。


自分の弱さに目を背けなくなると、結果として丸くなったように見えるのかもしれません。