うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

数字が増える→求められてる→なんかオッケーなのだ。という麻痺のはじまりのはじまり

わたしはたまにここで「ある種類の感情」について書いているけど、これにずばりとした言葉が見つかりません。
大きなIT企業が踏み込んではいけない領域の沼にずぶずぶと浸かっていったことについて、摂理としては起こりうるこの現象は、いうなればタバコ→お酒→合法ドラッグ→脱法ハーブ→もっとすごいの→最強のやつ、という段階の「脱法ハーブ」くらいのところで、「この人たち集団で摂取してまだ平気で増えていきそうなんだけど大丈夫なんかいなコレ」となったように見えます。


この摂理は個人のブログでもたぶん月間5万PVくらいになるとリアルに沁みてくる感覚だと思うのだけど、魂を売るのはほんとうに簡単で、そこにブレーキをかけられるかの境界はとても重要。
まえに「アクセスが伸びすぎないようにしている」というのを書いたことがあるのですが、そこに



 インターネットは、「ここに魂を売れば数字が稼げるよ!」というのがすごく可視化されている。



と書いたら、わかる人にはすごくわかったようでした。
この魂の売りどころとなるキーワードの恐ろしさは、誰にもいえないレベル。この年齢になると墓場まで持っていこうと思っていることがひとつやふたつではなくなってくるけれど、「ヨガの世界で検索されているキーワードの恐ろしさ」ったら、そら相当なものです。訊かれても答えないよ!


無条件で社会的にいいことをしている。と思っていないから、宣伝が積極的にならないのかも



これは少し前に書いた思いですが、自分で自分を積極的に宣伝をすることに対して罪悪感があるからこそ、広告代理店というものが存在しているのではないか。もともとは、そうでなかったのではないか。なんてことをふと思う。



 代行店ではなく、代理店



この「行」と「理」の境界を曖昧にしてしまうことの危険性について人間同士で話すことがとても大切なのに、その話をすることが非効率かのようなムードで押し切る環境が増えているのだよね。
「数字が増える=求められてる」ってところがすでに幻想ってことは、ほんとうによくある。