軽い気持ちで読み始めたら初心に戻れるような言葉がたくさんあって、読後の気分がよいです。
ちきりんさんの本は過去に何冊か読んでいますが、わたしはゲームをしないので梅原大吾さんというかたの言葉を読むのは初めて。この梅原さんがかなり多角的にものを見るかたで、ちきりんさんが「日本だめじゃない?」みたいな方向にしれっと促すような場面でも、乗せられないのがいい。
学校って思考力をつけるだけじゃなく社会性を養う場でもあって、その面では日本の教育は非常に質が高いと感じます。
(日本が住みやすいのは学校教育のおかげ? より)
こんな感じで。
語調もなんとなくゲーマーっぽくておもしろい。
今は学校で「弱者に優しくしましょう」「みんな仲良くしましょう」って教えておいて、社会に出たとたん、「フッフッフ、実はあれは建前でな。世の中違うんだぜ」って言ってるみたいなもんですよ。
(学校にもっと競争を より)
これほんと、そうですよね。
そしてなんといっても、以下のようなコメントがいい。
数字に強いってことは論理的ってことだから、裏を返せば「数字で計れないものもあることを忘れがち」「理屈っぽすぎて人から嫌われやすい」「理論に偏りすぎるとクリエイティブなものを生み出せない」といった負の面も考えられるでしょ?
(学ぶ意義を教えて選ばせる より)
わたしには、このゲーマーさんが中村天風さんに見えてきましたよ。
ちきりんさんは、日本人は "やらない理由・先延ばしの理由" を探す力が強すぎるから、煽りすぎるくらいでちょうどいいのだというスタンス。会話は梅原さんの「いや、それだけではないと思いますよ」という意見から名言を引き出そうとする形にも見えるので、断定的なフレーズをわざと使っているのだと思いますが、ちきりんさんの部分では、さりげない以下の言い切りが光って見える。
市場って「何が評価すべき価値なのか」を即座に理解する
(マーケットはプロセスを評価する より)
「議論を整理してきた人」が、「ゼロから考えてきた人」に勝てたりはしない
(この本ができるまで エピソード6 より)
たくさんの人を見てきているのだろうな、と思う。
そしてなにより、以下が沁みました。
僕は、プロゲーマーの仕事っていうのは、そのゲームの楽しい遊び方を発掘して、ファンの人にプレーを通してそれを伝えることだと思ってるんです。「こうやって遊ぶとこのゲームは今までよりおもしろくなるよ。単なるバグ探し的な遊び方とはぜんぜん違ってくるよ」って。
(楽しみ方を提示するのがプロの役目 より)
ものごとに対する「バグ探し的なスタンス」って、市場を縮小させるだけなんですよね。心の中でボヤきながらやるなら、やらなきゃいいのに…、って思うもんなぁ。
お二人とも「それぞれの業界で現実を見てきた人だわ」という感じがする内容。どの業界も裏話や実状話は出せばいくらでも出せるものだけど、こういうふうに多角的に見える形に落とし込むのはいいなと思いました。
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