窮屈さと理不尽さをボヤきたおすエンターテインメント小説。昔の話なんだけど、同僚の送別会の飲み会が激しすぎてびっくり(笑)。
タテ社会のあるあるが満載で、東京から来て田舎の人の気質にボヤく坊っちゃん(に代弁させているさまざまなこと)がおもしろい。
これは個人的な経験だけど、わたしはインドで1ヶ月半くらい、イギリス人と二人でルームシェアをして住んでいたことがある。そのときの経験と似た記述があり、これは漱石が英国留学中に同じような経験をしたのか?! と思った。
わたしの感覚では、赤シャツ=英国人の象徴、うらなり君=日本人の象徴、のように見えた。
何の六百円ぐらい貰はんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。
坊ちゃんの独特の上から目線はいつも痛快です。
相変らず空の底が突き抜けた様な天気だ。
オレ様口調から出るポエトリーな描写に萌える。
主任の癖に向から来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
上からの角度は誰に対してもブレない。
憐れな奴等だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓みたような小人が出来るんだ。無邪気なら一緒に笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の癖に乙に毒気を持ってる。
田舎の生徒たちに対する怒りなのですが、「植木鉢の楓みたような小人」って!
狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえと真面目くさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。御苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。
宿直中に散歩していて揶揄されているのを、日本語の問題として処理(笑)。
正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割に智慧が足りない。
ツンデレ坊ちゃん、その1。
赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だが何だか知らないが、いい心持には相違ない。
ツンデレ坊ちゃんその2。
マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係した事でないから勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんなんてえような風をする。下品な仕草だ。
内輪での盛り上がりに対する気持ち悪さの描写。「下品な仕草」で一蹴。
考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。
「坊っちゃん」の由来。
「無論悪るい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、やっぱりひどい目に逢ふでしょう。世の中には磊落な様に見えても、淡泊な様に見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、油断の出来ないのがありますから‥‥。(以後略)」
漱石がイギリスで感じたのではないかと思うことを、「赤シャツ」という人物に言わせている? と憶測しながら読むのが楽しい。
人の尻を自分で背負い込んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。
そうして一字毎にみんな黒点を加えて、御灸を据えたつもりでいる。
新聞にバッシング記事が出たときの坊ちゃん。
この小説は、「監視される田舎社会への意識」と「自分が自意識過剰なのかと振り返る内観」の往復が読みどころ。
そこに何人かの特徴的な性格を持つ人物がからんでいく。人間関係を描いているのだけど、つねに坊ちゃんの葛藤が主軸にある。
北極星のような不動の位置に主語がすえられた小説は、こんなにも読み手を内観させてくれるものなのね。迷子にならずに感情移入でき、感情移入する自分をも観察できる、おもしろい作品です。
坊ちゃんいろいろ。