壇蜜さんは壇蜜というポジションを「自分で作った」という意識を明確に持っている。そこがすてき。
こんな日記がある。
「芸能界の椅子、ここが空いてると思った?」
私「椅子は自分で作りました。だからすぐ壊れても仕方ないですね」
(2013/11/14 晴れ より)
他人が作った「代わりはいくらでもいるのだよ」なんて言われる椅子にしがみつくくらいなら…、というこの諦念が彼女の多くの比重を占めていて、このエッセイは多くの(年齢で値踏みされる機会を逃れない)女性を励ますだろうと思う。
どういうわけか、共感する箇所にいずれもカレーが登場していた。
当時はとにかく一人になりたくて、ささくれていた。ハタからみれば「エラそうに」と言われても仕方ない行動だったが、カレーは本当に美味しく、一人で食事をすることで誰にもグチもいわず迷惑をかけずにすんだので大目に見て欲しい。
(2013/11/28 晴れ より)
分かってはいるのだが、お釈迦様とカレーは結びつかない。イメージするとどうしても先に無抵抗主義の彼が割って入ってきて、カレーを平らげてしまうのだ。
(2014/4/8 晴れ より)
首を縦に振りすぎて、横にも振らねばと思うのだけど、横に振る要素があまりない。
以下は、わたしもかねてより不思議と思っていた感覚なので、共感。
別れた今でも友達として……そんな話をたまに聞くが、セフレにもならずにどうやって元恋人と話をしているのだろうか。
(2014/6/17 晴れ より)
その先がないことを決めた人とは、話すことがない。セフレというのも健康診断みたいな感じがして、妙な関係だと思う。
以下はあまりにも自分にきびしくて、びっくりした。
月末の贅沢にと高い杏仁豆腐を購入したが、あまり美味しくなかった。バカ舌め。
(2014/7/31 晴れ より)
自身への呪詛の言葉がいちいちおもしろい。
このような感覚で生きる人をネガティブと言う? ひどい扱いを受けてくれば、「傷つかないために、あらかじめ自分で自分を傷つけておく」という対処を身につけるのは、至極当たり前のこと。
「目立ってはいけない」「嫌われやすい」という戒めのような言葉が多く出てくるのもいい。そしてそれ以上に、差別区別されることを経験した人にしかわからない言葉に抱きしめられる。贅沢をしない自虐的な女で自分を低く見積もる知恵を常に持ちあわせていることをコンスタントに訴求する配分まで完璧(ここはもちろん、男性向けに)。「さすが」という言葉しか思い浮かばない。
2014年5月4日の、石鹸について短い文章で綴った日記は、少ない文字数でよくもこんなに上手に書くもんだ、という名文。なんというか、うまいのです。
この本の中で何度か「小金を稼がせてもらっている」みたいな表現が出てくるのですが、いまでもアメブロでブログを書いているから小金に執着がなさそう。LINEブログから乗り換え案内がきているのではないかと思うのだけど、知的みたいなポジションになってもアメブロのタイトル画像すら変わらない。
自分で作った椅子のデザイン・コンセプトをずっと忘れないところがすてきです。
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