うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ブレイクスルーは突然やってくる。でもわからないから、それまでは悶々とする


もうそんなことは何十年も生きていたらわかっているはずなのに、いまのわたしは他者ボディのそれを見ることが増えて、たいへんうれしい。
わたしはこれまで自分の経験として、バッティングのスランプを抜けるときや静物デッサンで関係性をとらえられるようになるなどのブレイクスルーとヨガを重ねてきました。ヨガはそれが何度も細かく用意されていて楽しいな、と思っています。「練習はあなたを裏切らない」と誰にでも言いやすいのが最高の魅力。


ここ数か月、いろんな人の大きめのブレイクスルーを立て続けに見ることができました。
倒立が壁なしでできるようになった、ジャンプスルーができた、バカーサナからジャンプバックができた、マリーチ・アーサナで手がつかめた…などなど。あとこれは可視化できないから伝わりにくいのだけど「練習が楽しくなってきた」という精神面のブレイクスルーも。
「楽しさ」の感性にはすごく個人差があると感じます。身体を動かす回数を増やしてある程度のところまでいかないと感じられない楽しさもあります。細胞がキャッキャしだすような、そういう感じが何度もステージごとに変わっていくのが楽しい。
そこんところを斜に構えて「俺はまだ本気出してないだけ」(←というマンガがある)と佇んでいるだけではブレイクスルーはやってこない。


でもそれはいつやってくるかわからないから、そうなるまではジれるし、悶々とします。するんだよねぇ。そして経験・年齢を問わず、ブレイクスルーはやってきます。それも突然に。ラブストーリーか!
3年に1回くらいでいいから、わたしもまだまだこういうのが欲しいです。なので、すでに自分ができることでも、できるようになってうれしそうな人を見ると「いーなー。そういうの、わたしにも来ないかなー」と思います。むずかしそうなアーサナって、できている状態がうらやましいというよりも、「その葛藤を超えた瞬間」という状態がうらやましいんですよね。なので「いーなー。いまドーパミン出まくりなんでしょ、いいなー」となります。
すでに自分はサッとやれるアーサナでも、やはり超えた喜びの瞬間を見ると「いいなー」で、その「いいなー」を、わたしの別の目標に移し替える。
わたしもできるようになりたい動きがまだまだいっぱいあって、あれこれ練習しておりますよ。



★おまけ★