「白本」に続いて電子書籍で出された本。メールマガジンで展開していたQ&A(72項目)がまとめられています。
Q70に【なぜ不安や恐れは人の足を引っ張るのでしょうか?】という項目で「私は最近、人間って思うほど幸せになろうとはしない生き物だと感じています。例えば、…」からはじまる質問と回答があるのですが、これを読むためだけにダウンロードする価値あり、と思うほどよかった。
質問も回答も丁寧。この質問に対し「頭の中で作ってしまった問題は、身体に訊くのがなによりです」と回答するまでの流れと前後がすばらしい。
今回もヨギックなコメントがたくさんありましたが、「白本」よりもさらに日本のシステムという川の上流への指摘が多く、メディアの情報に不安を感じている人にかなりおすすめな内容です。いくつか紹介すると
日本は「成功体験を忘れられない村社会」であることが、問題なんだと思います。ですので、今でも「こうしなければいけない」という固定概念にとらわれ、その固定概念からはみ出さないように、お互いがお互いを監視する社会になってしまったことがさらなる問題なんだと思います。その監視社会の最大の監視装置が「マスメディア」です。
(Q24への回答より)
同じ回答の中に、こんな言葉も。
今の日本を見ると、「真面目」であることと「おとなしい」ことは、同義にされてしまっていると思います。
先日、夏目漱石読書会(という寺子屋的クラス)でも「真面目」という言葉について掘り下げたのですが、そこでは「従順」というワードが出ていました。クリックする奴隷にならない知恵が必要なとき、イスラームのアッラーのような「おまえがクリックしたテキストもわしは全部みておる」という抑止力が自分の中にどれだけ持てるか、だね。
この指摘も鋭い。
日本の問題は、ソーシャルがゲーム化してしまったからで、ですので、日本の産業が立ち直るには、ゲーム化したソーシャルをやめることだと思います。
(Q39への回答より)
わたしはここ一年ほど、人とのつながり方に小さな工夫を重ねているのですが、理由はまさにゲームのようなコンタクトが増えたから。「最近どう? 元気?」という類のオンラインの呼びかけはスルーし、「ちゃんとネタを持って人と会う」ようにしています。人間関係の幅は狭くなりますが、それでも今はそうしたほうがよいような気がして、そうしています。
著者さんは今の日本の社会は「遊び場でさえも封建的」だといいます(Q69への回答より)。
わたしはヨガの分野でずっと同じことを感じてきました。シャンティな(はずの)場所でさえも、ふんわりと芽吹く封建的なマインドに支配され、練習に集中するための場ではなくなる。自宅や近所での練習をベースにした人向けの強化レッスンのような場所を作っても、「封建的なほうが寂しくなくて気持ちが救われる」というニーズが発生する(対応しないけどね)。
かなり大切なことを、わかりやすくなりすぎないように少しブレーキをかけながら語ってくれています。
ものすごく、かなり激しく、おすすめ。