うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

パラサイト・ミドルの衝撃 サラリーマン45歳の憂鬱 三神万里子 著


少し前にここに感想を書いた「理解という名の愛がほしい ─ おとなの小論文教室。2」のあとがきで触れられていて、気になって読んでみました。
これは早すぎた名著なのか、2005年の時点で検知していることの精度が高い。
2007年くらいから勝間和代さんがぐわーっと世に出てきたりして、ワークスタイルの本は今も数多く出ていますが、わたしが肌で感じ続けてきた「儒教の土台にアングロサクソン風味を加えアメリカンなソースで仕上げた日本の社会構造」が整理されたものを読んだのは初めて。「ワーク・シフト」のナマナマしいバージョンといってもよさそう。
ここに書いてあることは、いま2015年にわたしがさまざまな人と接して思うことばかり。「あなたは、かつての同僚か」と思うほどリアルな過去と、「あなたは、いまの同士か」と思うほどリアルな現実がある。サブタイトルは45歳になっているけど、これはあくまでどこかに定点を置かないと話がすすめられないからセットしてある年齢として捉えたほうがよく、読まないと確実に損な本ではないかと思う内容です。

出版社のサイトの内容紹介には

パラサイト・ミドルとは、会社において他世代のあげた成果に「寄生」している「中間層」のこと。彼らが実力を出し切らないために、企業は達成できるはずの業績を落としているのではないか? 異色の世代論。

とあるのですが、世代論にしてしまうのはもったいない。人間関係は仕事で出会う人だけではないし、コミュニケーションの手段が変わり、世代の境界もどんどんなくなっています。この本の中でも、性質について触れられるときには「世代というよりは接してきたメディア」という言いかたをされています。「法改正の歴史」に連動させると世代論ぽい見えかたにならざるをえないだけ。
本筋は日本の会社設立・年金制度に関する法改正の歴史とともに書かれているので、なぜ自分より年上の世代の人たちがあのような考えかたをしがちなのかという謎が、いっきに解けました。
この本はやさしさに溢れているのだけど、それが伝わるかどうかは読み手次第。「築けるだけでなく、泳げないとキツいと思うの。これからは」というのはさまざまな本で語られているけれど、この本には「長く泳げる息継ぎのしかた」のようなことまで書いてある。特に「第五章 これからやるべきこと」では、信頼できる情報を取り扱える人間になることの重要性がかなり丁寧に書かれており、この章だけでも宝物。
第五章までは、組織のなかで何年もぶら下がっている人にはしんどい読書かもしれません。でも、第五章がいい。すごくいいのです。

前半は、「中年あるある」みたいな感じです。

<10ページ 序章 なぜパラサイト・ミドルなのか より>
 勤務時間の大半をオフィスにこもって過ごし、管理職としての時間が経過すればするほど市場感覚は麻痺し、好奇心が削がれる。現場から報告される内容も、言葉の意味をなんとなく理解できても、機器の度合いやポイントをだんだん理解できなくなる。何がわからないのかがわからないために適切な対処方法や優先順位をつけられず、具体的な策にまとめ上げることもできない。つまり職業人としての老化が始まるのだ。


<102ページ 第二章 二○○六年からの年表 5.二○○七年以降の四五歳 より>
 市場のダイナミズムに全員が対応することでバランスを実現する世界。これは誰かが明確な方向づけをしてくれた過去とは異なる環境である。取り残されないためにも中高年は旧来の体質から足を踏み出す必要がある。退職を勧めているわけではない。企業にいても役員にではなく市場に目を配る、という意味だ。


<113ページ 第三章 1.足踏み現象を誘発する企業年金と退職金 より>
 誰が幹部候補なのかを五○歳直前まで隠して同期を競争させる伝統的な昇進の仕組みと退職金や企業年金の仕組みが連結し、人が流出しないように設計されているのである。五○代に差しかかると管理職ポストに数の限りがあるため率直にいえばこれ以降、人材は流出して構わない。


<208ページ 第四章 逆襲 5.頭の使い方 ── 時間と情報ベースの行動 より>
中高年が誤解しやすいものに「資格をとれば解決する」という発想もある、
 業務の独占権がある国家資格であれば、仕事を選ばなければ最悪の場合、下限ラインは確保されるが、仕事を作り出せなくなった段階で通常の企業勤務者と変わらなくなる。逆に一定の試験に合格した人と類似した業務で競争するため過酷になる。他人が作った仕事を分けてもらい、売上げを分けてもらう立場になってしまう。そして陳腐化した知識で回せる仕事のみになれば、単純作業と変わらない。この意味で資格は、取得後の本人の行動が知識サービス業の感覚に乗っていなければ本質的な価値を生み出さない。肥大化する会計事務所などではこの現象がとくに出始めており、制度改正の説明をするだけのセミナーでフィーを得る例や、英米の事務所が作り上げた問題解決方法を翻訳して提供するだけのビジネスなど典型である。

これは「同じ企業に長年努めてパラサイトする人」に限った話じゃない。



以下の部分は、10年後のいま読んで、まさにそうなっていると感じます。

<178ページ 第四章 逆襲 3.働き方の革命 より>
 企業側のニーズがあろうとなかろうと稼ぐ仕組みや情報ギャップを埋めるサービスを作り出す人々。企業が必要性に気づくのはむしろ、彼らが存在しノウハウを蓄積した後となる。つまりこういう人々がいるから市場ができ、企業が話に乗るという順番があるのだ。


<242ページ 第五章 これからやるべきこと 2.情報信頼性評価 より>
 特定の権威の下にヒエラルキー型に組織や個人が連なる構造ではなくなった今、抽象的な表現だが、自身の問題意識と切り口が似ている人々を探し互いに人的な資産関係を築くことがパワーになる。これを実現するには一定の視点のもとで、自らの情報環境にとっての権威を自らの意思で取りにいかなければならない。行動に移せば移すほど、ネットワークは形成されるようになる。地道に探すのが得策だ。

必要性があると思ったらあるという前提で行動することができるか。この本で提示していることは、そういうことなのだと思う。この本が出た10年前には「そうだね、そうなっているね」ということが証明されていなかったけど、いま実際そうなっている。


そしてその行動の根拠には、情報の信頼性を見極める目が必須能力であると。この展開がいい。
ここがなによりも読みどころだと思うのですが、著者さんは以下の二方向を提示しています。(以下226ページより わたしがすこし文章を短くしました)

  • どれだけ多くの人がその情報を「信頼できる」と言ったか、情報を受信した人々の心象を頼りに、多数決で判断する方法(相対評価的なアプローチ)
  • 情報の発信者が、社会に与える影響力を考慮して、網羅すべきマナーをどの程度備えているか(表れている責任開示の度合いで評価する)

この後者(表れている責任開示の度合い)って、なかなかバシッと指摘しない風潮がありますよね。でも見る人はそこをじっくり見ているし、すごく大切。
この本では、後者について以下の解説が続きます。

たとえばもし、その情報を信頼したがために誰かが不利益を被ったとしても、後々なぜそのような情報が発信されたのか追及できるトレーサビリティを確保し、発信者自らが責任の追及先を公開していれば信頼できる度合いが増す。多数決でいくら評価されようとも、要件を少しでも満たしていなければ信頼性は一挙に揺らいでしまうため、絶対評価的なアプローチになる。中高年に限らず、われわれは今後、このような二方向のスクリーニングにさらされながら生きていくことになる。

わたしがいま感じる世代差は、まさにこの感じ。「それソースはどこですか」「母数の定義はなんですか」ということを、同世代以上の人にはすごく遠慮して婉曲して訊ねなければいけないけど、30代前半くらいまでの人だと話が早いと感じます。サッと聞きやすいし、サッと返ってくる。



翌々ページにこんな表現が出てくるのですが

しかるべき品質の情報加工を自分で経験し、顧客に提供していれば、情報の入手や加工や発信の過程で当然踏むワークフローが想定できるようになる。そのため、知識サービス業に転換してキャリアを経ると、相手が発信者として踏んだであろうワークフローを想像することができる。これによって情報信頼性を評価できる、独特の勘が働くようになる。

パラサイトしていると鈍ってしまうのは、「儀式」のなかでズバッと問われることがなくなってしまう「各プロセスの係数を捉える」感覚なんですよね。


81ページで、著者さんは世代間のコミュニケーションを阻む要素として以下の4つをあげています。(以下わたしが要約)

  • 95年以降の社会構造が変わったことに対する理解度
  • 外国語の理解度
  • その単語が使われている文脈、専門分野の理解度
  • 多様なメディアを駆使して情報源をカスタマイズしていく身軽さ、雑多な中から個人の興味や問題意識に従って情報を探し取捨選択する能力

若年世代のことを「コミュニケーション力が足りない」と言う前に、そのいらだちは「わたしにおもねらないのかチミは!」という暴走老人と同じ種類のものではないかと内省してみることを、しているか。これはもう若者ではない年齢になったら、呼吸のように一生続けていくもの。
この本は体力的なことにも少し触れられていましたが、体力のほうがリカバリーに時間は要しません(きっぱり)。身体の柔軟化よりも、頭の柔軟化のほうがよっぽど時間がかかると感じます。わたしは「パラサイトしている」と感じる瞬間の罪悪感はとても健全な生命力だと思っているので、同じように感じている人に、この本はすごくおすすめです。