2008年に出版された本ですが、コミュニケーション・デザイナーという仕事の考え方を知るだけでもたいへん有益な一冊。
ちょうど最近、ヨガ関連でイベントの告知力について考える機会があって、いまヨガのイベントを告知するならここ! みたいな強力なサイトって、ないんじゃないかな。この本のなかで語られる「もう専門領域バカで乗り切れる時代ではない」というのは本当にその通りだと思う。
このことがいろいろな章でちょくちょく出てくる。少し抜き出して紹介します。
<ラブレター職人で本当に満足してる? より>
ラブレターを書くだけ。机に向かって必死に書くだけ。
相手がどういう人かはマーケティング担当任せ。どのメディアにどういうタイミングで載せるかはメディア任せ。
それって単なる「ラブレター職人」なだけだ。渡す相手もちゃんと見ずに、ラブレターを書くことだけがうまくなっていく。
「書いて渡せるラブレター職人」みたいなブログライターが増えると、専門家の仕事は減るよね。
<すべては消費者のために〜消費者本位なチームづくり〜 より>
たとえば営業担当がクライアントをこう説得してくれて、コミュニケーション・デザイナーが入る余地を作り、環境を整えてくれれば、体勢が従来型のままでも変化した消費者に対応したコミュニケーション・デザインはできると思う。
「コミュニケーション・デザイナー」という仕事は、とても重要だと思う。
<消費者本位に考えてチーム編成する より>
チームメンバー全員が最低限のコミュニケーション・デザインを理解していることも重要だ。そうしないと内部調整の段階で空中分解してしまう。実際、ボクは一度破綻&空中分解をして痛い目にあったことがある。それ以来、各チームメンバーの下に従来型の組織をぶら下げるやり方など、現実的なチーム編成も考慮に入れている。いずれにしてもキャンペーンのやり方やアイデアによって、フレキシブルに変化していくことが求められる。
経験に置き換えて回想することがいくつもある。「コミュニケーション・デザイン」の理解を邪魔する心についてずっと考えていたら、インド哲学にハマってしまった(笑)。地頭のよいひとであっても、二元論に陥らないジャッジの重要さをずっと保ち続けることは、すごくむずかしい。
いかんともしがたい、やんごとなき状況についても語る。
<どんどん領域侵犯しよう より>
いくらコミュニケーション・デザイナーが中心に立っても、メンバー同士が「縦割り」だと、結果的にメディア・ミックス的なキャンペーンになってしまいがちである。メンバー同士、「ここはアイツの領域」などと遠慮しあったり、他のメンバーに気兼ねして「このメディアも使ってあげない?」みたいにどんどんコミュニケーション・デザインが崩れていったりするのである。
これは、実にめんどうね。
<企業のソリューションから消費者のソリューションへ より>
よく、企業側の都合で、消費者には絶対伝わらないようなキャンペーンをしないといけなかったりすることがある。その都合はもちろんよく理解できるし仕方ないと思う。それに合わせた案ももちろん出そう。でも、あくまでも消費者本位で考えて「伝えてもらいたがっている消費者」の役に立つソリューションを、広告マンはオススメ案として提案し続けるべきだと思う。諦めず提案し続けることで少しずつ変わっていくことを目指すべきだ。
……って、理想論すぎるかもしれない。
最後が「関白宣言」みたいですが、せっかくクライアント側に消費者のソリューションを考えたい人がいるのに、広告側のほうで企業のソリューションを考える人が幅を利かせてしまっているというケースもある。
「伝えたい相手だけに伝えるというスタンス」について書かれる章も、首がもげそうなほどタテノリで読みました。「クレバーな仕組みの上にフールなクリエイティブを載せる」という章にある
スマートでクレバーな仕組みを作ったら、消費者もそれをわかってくれ、感激してくれると勘違いしがち
という指摘も、毎回立ち止まるべき関所。そのうえで、「この商品の情報を伝えてもらいたがっている人をリアルに想像する」ということも同時に続けていく。こういうことの重要さを語る本に久しぶりに出会って元気が出ました。
成功した事例のチームワークの回想で語られる
「1ミリずれるともうボール」というこの微妙な感覚を結果的に全員が共有できたのである。たぶん初動で何度も話し合ったからだろう。
というくだりには、これがチーム仕事の中毒的な魅力であり落とし穴でもあると思った。
「ボールの理由を説明する表現力がないだけ」なのか「ボールだというジャッジがそもそもできていないか」というところに踏み込むのはむずかしいことなので、やはり「わかってる」を「わかる」能力はだいじ。コンディションを整えておくこともだいじ。
いろいろ、思うところの多い一冊でした。
▼紙の本
▼Kindle版